ジャズピアニスト西山瞳さんによるメタル連載〈西山瞳の鋼鉄のジャズ女〉。今回で連載はなんと100回目に到達! Mikiki最長期連載の特別回として、ヘヴィメタル専門誌「BURRN!」編集部出身のフリーライター清家咲乃(せいけさきの)さんとの対談をお届け。メタルを語る言葉、音楽について文章を書くこと、さらに〈女性の書き手〉という立場について、お2人にさまざまな観点から語ってもらいました。
メタル雑誌かネットか、世代が異なる2人の入り口
――お2人のメタルの入り口は?
西山瞳「私は90年代前半です。もともと小学生の頃にB’zが好きで、インタビューで彼らが聴いていた洋楽としてクイーンとセックス・ピストルズ、ディープ・パープル、ボン・ジョヴィを挙げていたんですね。で、ピストルズはまったくハマらなくて(笑)。ほかはおもしろいと思って、洋楽を聴きはじめました。その後、高校生の頃にメタルを聴くようになって。周りにバンドをやっている人も多かったんです」
――クラシックピアノをやっていらっしゃった西山さんは、メタルにすんなり入れましたか?
西山「入れましたよ。入り口がイングヴェイ(・マルムスティーン)だったから(笑)」
――清家さんは?
清家咲乃「自分も小学校の頃、B’zは好きでしたね。『Mステ』に出ていたのを見て、次の日に学校で〈いいよね〉と言ったら友だちに〈おじさんじゃん〉と返されてショックでした(笑)。当時はHey! Say! JUMPとか、アイドルが全盛期でしたね。
自分はアニメソングを聴いていたリスナーなんです。中学生の頃にニコニコ動画が流行りはじめ、初音ミクや同人音楽を聴いていたなかでSound Horizonにハマりました。特にマーティ・フリードマンがギターを弾いている『イドへ至る森へ至るイド』(2010年)でハマって、彼のことをWikipediaで調べて出会ったのがメガデスで。〈メガデス〉の項目をクリックしたら〈スラッシュメタル〉と書いてあり、なんのことかわからないのでさらにクリックして辿っていって。それでディグるようになって、気づいたらレッド・ツェッペリンとかも聴くようになっていました」

――ネットが入り口だったんですね。
西山「私は雑誌だったな。教室内の誰かが持っていたから『BURRN!』は読んでいましたね。私は『Player』が好きでよく買っていました。当時はTSUTAYAでCDを借りられたことも大きかったです」
清家「私はYouTubeに音楽がアップされるようになったことや、大学時代にストリーミングサービスが出てきたことが大きかったです。友だちとディスクユニオンで中古盤を漁ったりもしていました。周りにはストリーミングにないCDをジャニスで借りる人も多かったです」
メタルコアを巡って大学サークルが揉めていた時代
――メタルにハマったきっかけのアーティストや作品はなんですか?
西山「やっぱりイングヴェイですね。『The Seventh Sign』(1994年)からハマって、メタリカの『ブラック・アルバム(Metallica)』(1991年)やメガデスの『破滅へのカウントダウン(Countdown To Extinction)』(1992年)を一生懸命聴いていました」



――同時期のオルタナティブロックは暗くて辛気臭くて嫌いだったそうですね。
西山「景気悪いなと思って、めっちゃ嫌いだったんです(笑)。当時はMTVも大事な情報源で、ナイン・インチ・ネイルズのMVが流れてくると辛かったですね」
――清家さんの転換点になったメタルバンドや作品は?
清家「先ほど言ったサンホラの“イドへ至る森へ至るイド”がきっかけだったんですが、その後はイン・フレイムスやメイヘムが好きになりました。特にメイヘムは大好きでしたね。西山さんとは逆に暗い音楽が好きで、アングラなほうにどんどんいって」
西山「メイヘム!? どこに接続する道があったの?」
清家「メタルのサブジャンルをディグっていた頃、当時は高校生だったので、過激なことが書いてあったのに惹かれて(笑)」
――共有できる友人はいました?
清家「まったくいなかったですね。高校は国際科で、周りではブルーノ・マーズとかのUSメインストリーム、あとはK-POPが流行っていました」
――同時代のメタルには触れていなかったんですか?
清家「当時はオールドスクール至上主義で、同時代のメタルコアは聴けなかったですね。大学でもメタルコアがメインのサークルとそうじゃないサークルがあって、メタルコアを巡って揉めているサークルもありました(笑)」