暗い時代、若者の拠り所となった普遍的な渇望の歌
しかし、単なるイミテーションには留まっていない。インタールード“’77~”で聴こえる遠い潮騒の音が、情景を安室の故郷である沖縄の海へと切り替え、そして珠玉の名曲“SWEET 19 BLUES”へとリスナーの手を引いていく。〈今日もため息の続き/1人街をさまよってる/エスケープ 昨日からずっとしてる〉。都会の狂騒のなかスターダムを駆け上る少女が何者でもなかった自分に戻り、カメラは一気に彼女の無防備な原風景に焦点を当てる。〈だけど私もほんとはさみしがりやで/誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない〉。世間のカリスマとしてではなく、孤独な18歳として安室が歌った内省的な言葉は、大人と子供の狭間で揺れる若者たちの不安定な心情を映し出すとともに、その心の拠り所となった。
さらに、バブル崩壊後の金融危機に差し掛かり、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などの未曾有の出来事も経験した当時の社会の陰りもある。90年代のギャルファッションやメイクに宿る強さは、目に見えない焦燥感と不信感を煽る社会に対する武装という風にも捉えられる。チーマーやカラーギャングは、行き場のない若者たちの避難所となっていた。〈昨日はあの子が私の/明日は私があの子の/傷をいやして〉。安室がステージから降りそんな彼女たちと対話をするかのようなこの歌詞は、大人には頼ろうとしない、彼ら特有の相互秩序の精神を表しているとも言えるだろう。
目を現代に向ければ、人々が集まる場所としてのインターネットの存在が当たり前になり、コロナ禍以降は非対面でのコミュニケーションも一般化された社会に、私たちは生きている。2004年生まれの次世代アーティストであり、令和世代の若者から絶大な支持を集めるLANAは、自身の楽曲“99”でこう歌う。〈うちの友達はみんな片親で/傷を舐め合い集まる毎日〉。インターネットという仮想空間がありながらも、大人に対する不信感を抱え、似た境遇の者同士で寄り添い合う若者たち。〈部屋で電話を待つよりも/歩いてる時に誰か/ベルを鳴らして!〉。“SWEET 19 BLUES”で安室は、家という閉鎖空間で縛られて受話器を握るのではなく、ポケベルやPHSを携えて街へ繰り出し、外の世界で誰かと繋がるために〈ベルを鳴らして〉と歌った。テクノロジーがどれほど発達しようとも、これらの歌の本質にあるのは、他者との繋がりを求める、人間の普遍的な渇望なのだ。
デジタル上の不在と沈黙の美学
安室奈美恵というアーティストは決して多くを語る人物ではなかった。外部に私生活を共有するという点においても、確固たる保守的な姿勢を貫いていたと言える。世間の視線から自らの音楽と精神を守るための、彼女なりの抵抗だったのだろう。デビュー25周年の年に引退を発表し、翌2018年、伝説のまま安室は芸能界を去った。あの日、私が初めて手にしたディスクを回してから今日に至るまで、街の景色は劇的な変貌を遂げ、人々の鑑賞スタイルや世界の速度はとどまることなく加速し続けている。そのスピードには、時に恐怖を覚えるほどだ。そして、2023年には、一部の楽曲を除いて、突然安室の楽曲が音楽サブスクリプションサービスから削除された。権利や契約上の都合などが挙げられているが、正確な理由は明かされていない。
しかし、このデジタル上の不在さえも、彼女がかつて貫いた沈黙の美学に帰結するのではないだろうか。利便性を失ったその場所でこそ、私たちはあらためて、彼女の残した楽曲の重みを噛み締めている。安室奈美恵がJ-POPに刻んだ足跡は、決して色褪せることはない。そのマイクを下ろす瞬間まで、彼女がただひたむきに歌い、踊り続けたように。