心機一転! 始まりの『A』
東京藝術大学、ローザンヌ高等音楽学校(HEMU)、マンチェスター王立ノーザン・カレッジ・オブ・ミュージック(RNCM)、グラーツ芸術大学(KUG)の各校で、澤和樹、ジェラール・プーレ、オレグ・クリサ、ピエール・アモイヤル、ヤイール・クレスといった錚々たる師に学んだ伊藤亜美。演奏だけでなく、頭の冴えと人柄のよさが滲み出るような話しぶりも魅力的な彼女が、いよいよ今年から活動を本格化させた。
それにしても、師事された先生たちが豪華ですね。
「藝大ではクリサ先生に1年間、最後の年にはアモイヤル先生も赴任していらしたので習うことができました。ちょうど東京芸大がとても入れ替わりの激しい時期でしたが、そうやって色々な先生につけたのは本当にラッキーだったと思います」
初めてヴァイオリンを習われたのはハビーブ・カヤレー先生ですが、どのようなきっかけだったのですか?
「たまたまジュネーヴ郊外のクランという湖沿いの小さな町……電車が30分に1本のようなとても小さな村のようなところに住んだのですが、カヤレー先生はそこでヴァイオリン・アカデミーを開いていらっしゃったんです。偶然に習うようになったのですが、それが私にとってはライフ・チェインジングで、その後の方向性につながりました。日本に帰ってから最初についたのは石井志都子先生です。石井先生もフランス帰りで、私のフランスとのご縁はその頃からあるのですが、先生はカヤレー先生に習ったよいところを大事にしてくださり、さらに伸ばしてくださる方でした」
藝大では澤先生のもとでも学ばれていますね。
「澤先生はとてもスタンダードな音楽性をお持ちなので、私がはみ出た時に中心に引き戻してくださるということが多かったですね。私もまだ10代半ばだったというのもありますし、演奏スタイルなど、基準になる点をいつも示してくださいました。人格と演奏のとてもバランスのとれた先生です」
プーレとアモイヤルのお2人は一応フランスという共通点はありますが、ボウイングのスタイルだけとっても、随分と異なります。
「だいぶ違いますね(笑)。アモイヤル先生はハイフェッツの教えが濃いので、かなりハイフェッツナイズされているというか。プーレ先生の方がより厳格で、トラディショナルでしょうか」
最後に師事されたのはクレス先生。
「クレス先生は、最初のカヤレー先生と同じくイスラエル出身のヴァイオリニストです。ベイシックな音楽性を重点的に指導なさる方なので、最後にそこに回帰して学生時代を終えよう、と考えました。RNCMで習ってみたらとてもしっくりきたのですが、1年間だけだったので、もう少し教わりたいと思い、それで先生のいらっしゃるグラーツに行くと決めました」
自己分析として、ご自分はどのようなヴァイオリスト/音楽家だと思いますか?
「これまでフランスのヴァイオリニストに多くの影響を受けてきたのですが、彼らも結構色々なユダヤ系の音楽家たちに習っていたりしていますし、突き詰めるとユダヤ系の影響が私の中では一番大きいのじゃないかなと感じています。人間としても、すべてが自然に結びつく智恵というか、そういう辺りに共感します。ヴァイオリンを弾くに当たっても、自分の演奏スタイルは、弾き方に関しても、様々な時代の作品への取り組みに関しても、やはりユダヤ系のナチュラルな、力の抜けたところが好みなんじゃないかと。最初に教わったカヤレー先生や、最終的に教わったクレス先生は、“ヴァイオリンにぶら下がるように”と仰るくらいに重力に逆らいません。力が抜けている演奏とはそうあるべきだと思います。フランコ=ベルギー系やロシア系とかのスクールは、屈強で大きな現地の人たちだからこそできる音楽であるような気もしたり……。その他、モダン楽器だからというのもありますが、やはり豊かな音でたっぷりと歌うのを好みます」
さて、話題を現在に変えましょう。
お使いの楽器は、1779年製のフェルディナンド・ガリヤーノですね。
「高校3年生の時から使っています。何十年も弾かれずに眠っていたらしく、最初はポテンシャルはあるけれど硬くてなかなか鳴ってくれなかったのですが、10年足らず弾いてきて、ようやく鳴るようになってきました。いかつい頑固親父だったのがだんだん女性的な柔らかい音色になってきたという感じ。去年パーツを変えてからはE線がダイヤモンドのように素晴らしく輝き始めました。ややヴィオラ的な要素もあるような野太い低音も魅力です。表現したいことに変幻自在にきちんと演じてくれる楽器です」
最初のアルバムは、2013年に録音したフランス・ソナタ集でした。
「自己紹介ということを主軸に制作しました。私にとってフランスのヴァイオリン・ソナタの王様といえばフランクです。サン=サーンスも少し夢見がちなところが魅力ですし、また私自身、ロマン派の演奏で最も本領を発揮できるように思っていたので、そういう点をまずは聴いていただこうと考えました。フランスのスタイルを提示するというより、感情の詰まったものを演奏したいというのも、この2曲を選んだ理由です。和声的な響きのフランクと、溌剌としたサン=サーンスとの組み合わせはバランスもよいですし」
同じ年に録音したアモイヤル&カメラータ・ド・ローザンヌとのモーツァルト《コンチェルトーネ》も、この3月に国内盤化された。5月には2枚目のソロ・アルバム『A』が、所属事務所が初めて立ち上げるレーベルの第1弾としてリリースされる。『A』という名はお名前から?
「はい。その他にも、学生生活を終え新たなフェーズに入ったことや、結婚もして名字を尾池から伊藤に変えたことなど、心機一転した“新たな始まり”の意味も含んでいます」
収録作品のひとつは5月にリサイタルでも取り上げるバルトークの無伴奏。カップリングはバッハのニ短調パルティータである。
「バルトークはずっと念頭にありました。初めてこのソナタを弾いたのは2010年頃で、たまたまコンクールの課題曲が第2楽章だったのですが、その時に何て面白い曲なんだ!と思ったんです。バッハを並べようというアイディアは自然に思いつきましたが、シャコンヌという共通点は意識しています」
録音はウィーンのネポムク教会で行われた。
「バルトークの荒々しいフーガも教会でやるととてもよい感じになって、お薦めトラックです。教会なので残響もしっかりありますしね。第3楽章のゆっくりしたところでは、子供の下校時間に重なって、声などが少し入ってしまっているのですが、無添加な雰囲気が気に入ってそのテイクを使っています。すごく楽しかったですよ」
原典版と版のどちらを弾かれているのですか?
「原典をメインに少し混ぜています。微分音も使っていますが、スラーなどはバルトークが書いた通りとはせず、自分のアイディアや、和音を弾く時にはメニューヒン版を参考に採り入れた部分もあります」
今後の活動について。
「ソリスト以外にも、リサイタルは今後節目節目で必ず定期的にやっていきます。ご縁があったらコンマスや室内楽など、大小様々なサイズのアンサンブルもやりたいですね。特にしばらく取り組んでみようと、弦楽四重奏を組みました。名前はカルテット・レストロ・アルモニコ(調和の霊感)です。最初のコンサートは6月15日にポプリホール鶴川で、ラヴェルとヤナーチェクの2番を演奏します。」
7月にはアモイヤル&カメラータ・ド・ローザンヌの来日公演も予定されています。
「少人数のアンサンブルというのは本当に面白いです。特にカメラータは、こじんまりと皆で合わせることを敢えてしないような個性派揃いで、皆、大きな喜びを持ってやっています」
次回のアルバムは?
「実は去年録音する予定だったのですが、怪我のために延期になりました。収録作品はルクーとショーソン、それにラヴェルです。それもあって、5月のリサイタルでこれらを演奏します。アルバムは年内には出せるでしょう。それとは別に、いつの日かきっと、と考えているのが、ツィガーヌとかチャールダーシュなどを手当たり次第に(笑)集めたアルバムです。ロマ系ばかりというだけでなく、伴奏もピアノだけでなく様々な楽器の組み合わせにしたいですね。そのようにあれこれ考えているとなかなか準備が進みませんが、大好きなのでいつか必ずやりたいと願っています」
LIVE INFO.
伊藤亜美 ヴァイオリンリサイタル2016
○5/14(土)18:00開演
東京文化会館 小ホール(東京)
tokyo-concerts.co.jp
TOWER RECORDS INFORMATION
伊藤亜美 『A』発売記念ミニLIVE & サイン会
○5/21(土)13:00~
タワーレコード渋谷店 7F CLASSICAL FLOOR
http://tower.jp/store/event/2016/05/003040