キャリアの長いグループこそ数あれど、常に第一線に立ってここまでコンスタントに活動しているブランドもそう存在しないだろう。中心人物を何度となく失いながら、時代の息吹を吸って変化を繰り返し、それでも紳士的なマナーを纏ってソウルの帝王であり続けるテンプテーションズ。この帝政に終わりはない

 ヴォーカル・グループは星の数ほど存在するが、60年近くに及ぶ活動歴の長さも含めてテンプテーションズほどの絶対的王者はいない。まずはそう断言してしまおう。ソウル・ミュージックの範疇に留まらず、アメリカのポップ音楽界を代表する存在としてテンプスという略称でも親しまれてきた5人組。60年代後半に共演アルバムを吹き込んだシュープリームスと並ぶモータウンの看板グループで、ファンク・ブラザーズのロバート・ホワイトによるギター・リフに導かれて歌い出す64年の全米No.1ソング“My Girl”はレーベルを代表する一曲としても名高い。長い歴史の中でメンバーは頻繁に入れ替わったが、その都度、歌とダンスに長けた美男や紳士を補充し、クィンテットというフォーメーションを保ち続けてきた。

 今年2月には、60年代末からのメイン・リードで、ソロで活躍した80年代に“Don't Look Any Further”(84年)などのヒットを放ったデニス・エドワーズが74歳で他界。デニスはテンプスを離れた90年代から〈テンプテーションズ・レヴュー〉という分派グループを率い、近年まで頻繁に来日もしていたが、ここで言うテンプテーションズとはオーティス・ウィリアムズ率いる本家のほう。

THE TEMPTATIONS All The Time UMe(2018)

 そんな彼らが8年ぶりに新作『All The Time』を発表した。内容は、サム・スミス、ウィークエンド、ブルーノ・マーズ、エド・シーラン、マックスウェル、ジョン・メイヤー、マイケル・ジャクソンのヒット曲カヴァーに3曲のオリジナルを加えたもので、カヴァーした曲の歌い手と世代は違えど、かつてはテンプスもポップ・ミュージック界を賑わすアイドルだったことを仄めかす。一方オリジナルは、分厚いハーモニーで迫るバラッドの先行曲“Waitin' On You”やモダンなステッパー“Be My Wife”などソウル/R&Bとしての濃さを失わず、ブラック・コミュニティーに寄り添い続ける彼らの良心を見る思いだ。

 

誘惑のハーモニー

 「安住するより冒険を好んだグループだった」と語っていたのはリーダーのオーティス・ウィリアムズ。つまりメンバー交代と新しいサウンドの導入を繰り返してきたわけだが、唯一変わらないのが5人であること。グループ内での役割もはっきりしていて、ファルセットを用いるハイテナーと低い声のベースという高低のパートふたりと、その中間のテナーとバリトンを担当するのが3人。そんな5声によるハーモニーの接着剤的な役割を務めてきたのがオーティスで、ミシガン州デトロイトにてメルヴィン・フランクリン、エルブリッジ・ブライアントらと組んでいたディスタンツが、脱退したメンバーの穴を埋めるべくプライムスとして活動していたアラバマ出身のエディ・ケンドリックスとポール・ウィリアムズを迎え入れたことがグループの始まりとなる。モータウン設立間もない60年前後のことだ。

 ディスタンツの名前が権利関係で使えなくなり、エルジンズと名乗るも同名グループの存在を知ってテンプテーションズと改名した彼らは、61年に地元のミラクルからサム・クック調の“Oh, Mother Of Mine”などを発表。62年にはモータウン傍系のゴーディから出した“Dream Come True”がR&Bチャート22位のヒットを記録するが、人気がいまひとつだったこともあって、モータウン傍系のメロディからパイレーツ名義でシングルを出すなど試行錯誤が続いた。この頃の看板リードはハイテナーのエディとバリトンのポールのふたりだった。

 そんな彼らに転機が訪れたのが63年12月。アルコール依存でクビになったエルブリッジの代わりにオーティスのご近所仲間だったデヴィッド・ラフィンが加わったことがグループを大きく動かす。リーゼントに黒縁メガネという出で立ちで派手なアクションを交えて荒々しい歌を聴かせるデヴィッドは、艶やかなファルセットを放つエディと共にグループの看板に。このふたりのほか、愛嬌のあるキャラでベース・ヴォイスを担当したメルヴィン、力強い歌に加えてダンスの振り付けにも才能を発揮したポール、ハーモニーのカギを握ったオーティスが、後にファンが認める〈黄金期の5人〉としてテンプテーションズというブランドを確立した。

 ブレイクとなったのは、64年にキャッシュ・ボックスのR&Bチャートで1位に輝いたスモーキー・ロビンソン制作の“The Way You Do The Things You Do”。エディのファルセットを含めてインプレッションズを手本にしたというこれや“My Girl”は、後年にかけてのトレードマークとなるテンプスのヴォーカル作法が集約されていた。米深南部出身でゴスペルに親しんできたメンバーの出自を伝えるような古式ゆかしさとディープネス。そして、北部移住後に虜になったというドゥワップの都会的洗練とポップネス。特にフラミンゴスは彼らのアイドルだったようだが、深く息を吐き出して厚みを出すブロウ・ハーモニーはムーングロウズから学んだという。同時に、女性を中心とした若いファンを持つアイドルでもあったテンプスはダンスにも力を注いでいた。デヴィッドのニー・ドロップ(膝落とし)も有名だが、グループの激しくも上品なダンスは主にポールの振り付けで、名振付師のチョリー・アトキンスにも厳しい指導を仰ぎながら完成させたと言われている。

 常にセクシーで洗練された紳士であることを心掛けていた彼らはメンバーの身長やスタイルにも厳しく、例えば以前デヴィッドと一緒にテンプスのオーディションに来た兄のジミー・ラフィンは、オーティスいわく「ダンスが下手そうで不格好だったから採用しなかった」という。また、80年代にキャピトルからのソロ作で人気を集めるボー・ウィリアムズは、歌の実力を買われてオーディションに出向くも身長が加入規定に満たず不採用となっている。グループ名を〈誘惑〉とした彼らにとって、歌だけでなく見栄えも重要だったのだ。

 〈エディの歌を聴いて下着を濡らすような女の子のために曲を作る〉——仲間内ではそんな会話もなされていたようだが、誘惑されたのは女性ファンだけではない。85年にホール&オーツとしてNYのアポロ・シアターでデヴィッドとエディを迎え、ライヴを行ったダリル・ホールが活動初期にテンプスに憧れてテンプトーンズというグループを組んでいたことはよく知られている。また、後にデトロイトから同じ5人組のヴォーカル・グループとしてドラマティックス(劇的)やエンチャントメント(魅惑)が登場したのも、地元の先輩であるテンプスへの憧れが高じてのことだろう。

 こうして彼らは66年にR&B No.1ヒットとなった“Get Ready”まで、主にスモーキー・ロビンソンとのタッグでヒットを連発。一方で、そんな活躍を横目で見ながら密かに裏方のポジションを狙い、その座を勝ち取ったのが、以前ディスタンツのメンバーと同じ高校に通っていた鬼才ノーマン・ホイットフィールドだった。ノーマンはデヴィッドの荒くれた魅力を前面に押し出した“Ain't Too Proud To Beg”(66年)などで彼らをさらなる高みに導き、グループ屈指のラヴ・バラードとなる“I Wish It Would Rain”(67年)も献上している。が、この頃エゴを剥き出しにしていたデヴィッドの無頼漢ぶりが頂点に達し、メンバーはデヴィッドをグループから追放。その後ソロとしての道を歩みはじめるデヴィッドの後釜として68年に加入したのがデニス・エドワーズだった。

 アラバマ出身の彼もゴスペルを基盤とする粗削りで野生的なシンガーだが、デヴィッドとはまた違ったストイックな熱さは〈ブラック・パワー〉が叫ばれる時代の風潮とグループの新機軸にマッチ。オーティスの勧めでスライ&ザ・ファミリー・ストーンの“Dance To The Music”を聴いたノーマンが同曲に刺激されて制作した“Cloud Nine”(68年)が大ヒットとなり、〈サイケデリック・ソウル〉と呼ばれる激しくファンキーな曲がテンプスの新たなスタイルとして定着する。また、社会的・政治的に揺れていた当時の世相を反映して、ベトナム戦争の帰還兵から聴いた話をもとに書かれた“Ball Of Confusion(That's What The World Is Today)”(70年)のようなメッセージ~プロテスト・ソングを歌うことも増え、マーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーらと共にニュー・ソウル運動の気運を盛り上げていく。72年に大ヒットとなったファンキーでシリアスな“Papa Was A Rolling Stone”はその象徴と言っていいだろう。

 

名門の誇りにかけて

 ただ、チャート的には絶好調でありながら、71年のバラード“Just My Imagination(Running Away With Me)”の録音直後、リードを歌っていたエディがグループと距離を置きはじめ、ソロに転向。同年には鬱病とアルコール依存に悩んでいたポールも脱退し(73年に自殺)、その穴を元ディスタンツのリチャード・ストリートが埋め、エディのパートもデイモン・ハリスが受け継ぐなど、グループの内部は混乱していた。また、ノーマンとの蜜月もノーマンが自身のホイットフィールドを設立した73年あたりで終わりを迎えており、その後はR&Bチャートで健闘するもポップ・チャートでは低迷。77年にはデニスも脱退し、モータウンからも離脱する。

 こうしてルイス・プライスを加えたテンプスはアトランティックに新天地を求め、デイモンの後釜となったグレン・レナードが以前トゥルー・リフレクションで録音経験のあったフィラデルフィアにてアルバムを制作する。ただ、彼らがフィリー・サウンドと相性が良かったことは、80年代突入と同時にモータウン(ゴーディ)に戻り、デニスも復帰してトム・ベルと組んだ81年のセルフ・タイトル作を聴いても明らかだ。

 82年にデヴィッドとエディを一時的に呼び戻し、〈リユニオン〉を謳ったアルバムとツアーを成功させたことは、3度目の大きなターニング・ポイントとなった。この時だけは例外的に7人編成となったが、リック・ジェイムズが新しいファンクのスタイルを持ち込んで制作/客演した“Standing On The Top”が6年ぶりにR&BチャートのTOP10圏内に入り、ふたたび最前線に復帰。グレンの後釜となるハイテナーとして元エシックス~ラヴ・コミッティのロン・タイソン、そしてソロに転向したデニスの後継者として旧メンバーよりひと回り年下のアリ・オリ・ウッドソンが加入したのはこの後のことだ。特にアリ・オリの若さや突進力が全開となるダンサー“Treat Her Like A Lady”(84年)は好評を博し、以降はデニスの一時再復帰もありながら、稀代の熱血シャウターであるアリ・オリをフロントに据えて“Lady Soul”(86年)や“Special”(89年)といった深い色気の滲むバラッドやスロウ・ジャムでマチュアーなヴォーカル・グループとしての粋を見せていく。思えば、デヴィッド、デニス、アリ・オリが加入するタイミングでサウンドが変化し、新たなフェーズに突入しているあたり、テンプスの魅力は荒々しいシャウターの雄々しさに負うところが大きかったのだろう。

 かつての二枚看板だったデヴィッド(91年没)とエディ(92年没)が相次いで世を去り、メルヴィンの他界(95年)前後にはセオ・ピープルズの加入やアリ・オリの脱退など出入りが激しくなるが、この20年近くはオーティスとロン、元フォー・ラヴァーズ・オンリーのテリー・ウィークスの3人が不動で、残りの2席を名門グループ出身者などが奪い合ってきた。モータウンからは2004年作『Legacy』を最後に離れるも、以降は自分たちの存在意義を確かめるかのように、〈最前線に復帰〉〈不死鳥復活〉〈まだここにいる〉などといった意味のタイトルを冠し、名門の誇りにかけて現行シーンとも向き合いながら良作を出し続けている。

 94年に出された5枚組アンソロジー『Emperors Of Soul』のタイトル=〈ソウルの帝王たち〉は89年に〈ロックンロールの殿堂〉入りを果たした時に授けられた称号だが、それから30年近くを経た現在、数々のヴォーカル・グループが生まれては消えていくなかで帝国を守り抜いているテンプスは帝王以外の何者でもない。5つ星のソウル紳士たちは、いまもリスナーを誘惑し続けているのだ。 *林 剛

『All The Time』で取り上げた楽曲のオリジナルを収めた作品を一部紹介。  

 

WHAT LOVE HAS JOINED TOGETHER
加入前や脱退後も含めて多様なキャリアを持つ個性的なメンバーたちの経歴を紹介!
   文/出嶌孝次

【OTIS WILLIAMS】テキサス出身で41年生まれ。いくつかのグループ活動を経てディスタンツからテンプス結成に立ち会ったオリジナル・メンバー。個性豊かな顔ぶれを舞台の裏表でまとめ、現在も唯一の生え抜きメンバーとしてグループを牽引し続けている。

【MELVIN FRANKLIN】ディスタンツからのオリジナル・メンバー。95年に逝去するまでオーティスを支えて生涯を全うしたグループの象徴的なベース歌手で、スイス・ムーヴメントやフォー・ラヴァーズ・オンリーら後進の育成にも努めた。

【ELBRIDGE BRYANT】ディスタンツからオーティスと行動してきたオリジナル・メンバーでテナー担当。飲酒問題などから63年末に解雇。脱退後はドラマティックスなどで歌うも、75年に逝去。

【EDDIE KENDRICKS】55年結成のキャヴァリエス~プライムスから参加したオリジナル・メンバーであり、ファルセットを駆使した歌声でテンプスを象徴するフロントマンとなった。サイケ路線に嫌気がさして71年に脱退し、モータウンの本流タムラでソロ・デビュー。ディスコ時代を予見した73年の“Keep On Truckin'”が全米1位を記録してブレイクし、続く“Boogie Down”や“Shoeshine Boy”などヒットを重ねていく。78年のモータウン離脱後は低迷していくも、ホール&オーツのフックアップもあって復権。92年に逝去。

 

【PAUL WILLIAMS】プライムスからのオリジナル・メンバーとなるバリトン担当で、シュープリームスらの振付けも手掛けた。鎌状赤血球症や飲酒に伴う心身の健康問題から71年に脱退。ソロ・デビュー目前の73年8月に自殺とされる状況で急逝している。

【DAVID RUFFIN】もともとアンナからレコードも出していたソロ歌手で、エルブリッジの後釜として64年に加入した色男。眼鏡の特徴的なヴィジュアルと紳士的な歌唱で人気を集め、エディと共に黄金時代の立役者となった。ただ、〈デヴィッド・ラフィン&テンプテーションズ〉への改名を進言するなどエゴが暴走し、素行の問題もあって68年に脱退。翌年にソロ・デビューするもドラッグなどの影響で徐々に身を滅ぼしていった。旧交を温めたエディとデュオ作『Ruffin & Kendrick』(88年)も残すが、91年に逝去。

 

【DENNIS EDWARDS】デヴィッドの後釜として68年に加入したアラバマ出身のシンガーで、もともとコントゥアーズの一員としてモータウン入りした後にソロ転向も決まっていた。グループのサイケ路線を野性的な歌唱で牽引するが、他メンバーがモータウンを去った77年に一人残される形で解雇。以降も80~84年、87~89年とワガママに出入りし、3度も加入脱退した唯一のメンバーとなった。84年には“Don't Look Any Further”がソロ・ヒット。その後は本家を横目に〈テンプテーションズ・レヴュー〉を率いてマイペースにライヴ活動を展開していたが、2018年に逝去。

 

【RICKY OWENS】“My Girl Sloopy”で知られるドゥワップ・グループのヴァイブレーションズを率いて50年代から活躍してきた大物で、エディの後釜として71年に加入するもすぐ脱退。その後はヴァイブレーションズを再興して活動を続けた。

 

【RICHARD STREET】もともとディスタンツでオーティスらと活動を共にしていたデトロイト出身の実力派シンガーで、男女グループのモニターズを組んでモータウンからデビューもしている。体調の悪いポールの影武者的なポジションを経て71年にテンプスに正式加入し、92年まで活躍した。2013年に逝去。

 

【DAMON HARRIS】もともとテンプスに憧れてヤング・テンプツを結成し、その発展型となるヤング・ヴァンダルズでデビュー経験もあった、グループ初の50年代生まれメンバー。すぐ脱退したリッキーの後釜に71年に座り、75年のテンプス離脱後はインパクトを結成して活躍。78年にソロ作も発表した。2013年に逝去。

 

【GLENN LEONARD】トゥルー・リフレクションのメンバーとして活動後、デイモンの後任として75年にテンプスに加入し、83年まで在籍したワシントンDC出身のシンガー。脱退後は神職に進む一方、テンプテーションズ・レヴューを名乗っての活動も展開。2011年には初のソロ作もリリースしている。

 

【LOUIS PRICE】シカゴ出身の53年生まれ。デニスと入れ替わりで77年に加入し、アトランティック時代の主役を張る。グループがモータウン復帰した80年に離脱し、ドリフターズ加入を経て91年にモータウンからソロ・デビューした。

【RON TYSON】モンロー出身のシンガー/ソングライターで、エシックス~ラヴ・コミッティで活動してきた錚々たる前歴の持ち主。70年代からフィリー~サルソウルを拠点にさまざまなレコーディングに携わり、その過程ではテンプスの『Here To Tempt You』(77年)で7曲のソングライトに関わってもいた。グレン脱退後の83年に加入して以来、制作面でも貢献しながら35年に渡ってオーティスを支え、現テンプスではNo.2的な存在に。

 

【ALI-OLLIE WOODSON】デトロイト生まれのアラバマ育ちで、80年代テンプスを代表するテナー担当にしてマルチ・ミュージシャン。再脱退したデニスの後釜として84年に加入し、曲作りやアレンジ面でもグループに貢献した。デニスと入れ替わりで87年に脱退/89年に復帰。96年の脱退後は自身の〈エンペラーズ・オブ・ソウル〉なるレヴューやデニス版テンプスでも活動。素晴らしいソロ作『Right Here All Along』を残すも、2010年に逝去。

 

【THEO PEOPLES】グループ初の60年代生まれとなる、セントルイス出身のバリトン担当。リチャードに替わって92年に加入し、グラミー候補となった98年の復活作『Phoenix Rising』では制作面でも活躍したが、ドラッグ問題からリリース直前に解雇。フォー・トップスでの活動なども経験しながら、自作自演によるソロ作も断続的に届けている。

 

【RAY DAVIS】パーラメンツで活動を開始したPファンクのオリジナル構成員で、80年代にはザップ軍団でヒューマン・ボディとしても活躍した大物ベース・シンガー。メルヴィンの急逝に際し、95年の『For Lovers Only』でのみテンプスに助っ人(?)として参加した。2005年に逝去。

 

【HARRY McGILBERRY】フィラデルフィア出身で、メルヴィン~レイの後釜として96年に加入したベース・シンガー。70年代には地元を拠点とするフューチャーズでデビューしていた実力者で、不死鳥期のテンプスにも寄与したが、ドラッグ癖から2003年に解雇される。2006年に逝去。

 

【TERRY WEEKS】アラバマ出身で、アリ・オリに替わって98年に加入したバリトン担当。もともとオーティスとメルヴィンの後見を受けたフォー・ラヴァーズ・オンリーというトリオで、93年にモータウンからデビューしていた経歴の持ち主で、いわばテンプス直系の弟子にあたるわけだ。加入20年を経て、現在もグループの顔として活躍中。

【BARRINGTON "BO" HENDERSON】ワシントン出身でドラムスなど楽器演奏にも長けたメンバー。80年代後半にはソーラーのレイクサイドに名を連ね、ドラマティックスでも活動した後、セオの後釜として『Phoenix Rising』制作途中の98年にテンプスに加入する。脱退した2003年にはソロ作をリリース。

 

【G.C. CAMERON】スピナーズでの活動を経て70年代からソロに転じ、テンプスとは長らくモータウン仲間でもあった大物ソウル・シンガー(スピナーズ時代にはテンプス“Message From A Black Man”のカヴァーも歌っていた)。2003~2007年にテンプスに在籍し、以降は自身のソロ活動に専念している。

 

【JOE HERNDON】ドゥワップの名門スパニエルズで歌ってきたDC出身のベース歌手で、ハリー解雇後のテンプスに『Legacy』から加入。2015年に脱退。

【BRUCE WILLIAMSON】LA出身で初の70年代生まれメンバーだったバリトン担当。GCに代わって2007年にテンプスに加入し、2015年まで在籍した。

【LARRY BRAGGS】ブルースに代わって2016年に加入した現バリトン担当で、タワー・オブ・パワー在籍時に来日も経験しているほか、ソロ作も発表している芸達者。

 

【WILLIE GREEN】ジョーに代わって加入した現ベース担当で、80年代からセッション・シンガーとしてライ・クーダーやジョージ・ハリソンの作品に参加してきた。彼もまたなぜかテンプスに多いアラバマ出身だ。

 

DISCOGRAPHIC THE TEMPTATIONS
テンプテーションズを知るための24枚

THE TEMPTATIONS Meet The Temptations Gordy(1964)

エディをリードに据えたデヴィッド加入後の初シングル“The Way You Do The Things You Do”がついに全国区ヒットとなって急造された初のアルバム。61年からのシングルAB面をそのまま収めたため、件のヒット以外は解雇されたエルブリッジが歌っている。個々の粗削りな歌声が熱い。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS The Temptations Sing Smokey Gordy(1965)

テンプスを成功に導いたスモーキー・ロビンソンのペンによる曲だけを歌った大ヒット作。再収録した“The Way You Do The Things You Do”やメアリー・ウェルズ“My Guy”へのアンサー“My Girl”などのヒットに加え、ミラクルズの名曲もカヴァー。ドゥワップの薫りも色濃く残す。 *林

 

THE TEMPTATIONS The Temptin' Temptations Gordy(1965)

デヴィッドが抑制を効かせて歌う流麗な“Since I Lost My Baby”は後にルーサー・ヴァンドロスがカヴァー。これを筆頭に本作でもスモーキーの曲を中心に歌うが、エディのハイテナーが冴える“The Girl's Alright With Me”は初期のノーマン・ホイットフィールドが手掛けた屈指の名曲だ。 *林

 

THE TEMPTATIONS Gettin' Ready Gordy(1965)

R&Bチャートで破竹の勢いを誇った双頭スター時代の代表作。スモーキー作の爽やかな“Get Ready”ではエディが、流麗なハーモニーの“Ain't Too Proud To Beg”ではデヴィッドが各々リードを担当し、全体的にも上昇気流のポジティヴな雰囲気が漂っている。ノーマンも含めて多彩な面々が後見。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS With A Lot O' Soul Gordy(1967)

スモーキーよりノーマンの制作曲が多くなったアルバム。“(I Know)I'm Losing You”をはじめ、デヴィッドの荒々しい声を活かしたプレ・サイケ・ソウル的な曲が目立つが、エディがメインで歌う“You're My Everything”のような初期テンプス路線のバラードも聴かせる。 *林

 

THE TEMPTATIONS Wish It Would Rain Gordy(1968)

デヴィッド在籍時の最終作。ドラマティックなコーラスを備えた表題曲が全米4位まで上昇したほか、スムースな“I Could Never Love Another(After Loving You)”や“I've Passed This Way Before”など去り行くエースに花道を作ったような楽曲が多い。一方ではサイケ路線の前ぶれも潜む。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Cloud Nine Gordy(1969)

前年に加わったデニスがメインで歌い、ノーマン(とバレット・ストロング)のカラーに染まりきったサイケ・ソウル作品。スライに刺激されたタイトル曲や、全員でマイクを回した長尺の“Runaway Child, Running Wild”など、前半の男臭いファンキー・ソウルは斬新極まりない。 *林

 

THE TEMPTATIONS Puzzle People Gordy(1969)

同時期のインプレッションズらにも似た雰囲気で佇むジャケの通り、ノーマン主導のコンシャス路線にさらに踏み込んだ〈69年〉的な傑作。ビートルズ“Hey Jude”を含む意図も明白で、ファンキーな突貫力のある“I Can't Get Next To You”は“My Girl”ぶりに全米総合チャートを制した。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Sky's The Limit Gordy(1971)

ファンキーなメッセージ曲も飛び出すノーマン制作のアルバムだが、“Just My Imagination(Running Away With Me)”のような解放感のあるバラードを軸に、独立直前のエディが活躍。アンディスピューテッド・トゥルース版で有名な“Smiling Faces Sometimes”の不穏さが全編を支配する。 *林

 

THE TEMPTATIONS All Directions Gordy(1972)

従来のテンプスらしさをいよいよ希薄にしてまで、ノーマンが自身のヴィジョンを貫いたサイケ・ファンク路線の大作。“Funky Music Sho Nuff Turns Me On”でワイルドに扉を開き、12分に及ぶシリアスな“Papa Was A Rollin' Stone”は全米1位を記録してグラミーにも輝く代表曲となった。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Masterpiece Gordy(1973)

これもノーマンの制作で、リチャードが優しく歌う“Hey Girl(I Like Your Style)”を筆頭に、ニュー・ソウル時代らしい内省的で滋味深いバラードが中心となる。デイモンを中心に各メンバーが絡む表題曲は“Papa Was A Rolling Stone”の続編的な長尺シンフォニック・ソウルの名作だ。 *林

 

THE TEMPTATIONS A Song For You Gordy(1975)

前作『1990』でノーマンと訣別したのを受け、幅広い作家陣とリフレッシュを図った一作。新進のコモドアーズが演奏した“Happy People”、エディ・ヘイゼルによるPファンク風の“Shakey Ground”が揃ってチャートを制すも、単独リードの増えたデニスのエゴはここから肥大していくことに。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Bare Back Atlantic(1978)

テンプス史においては特殊なアトランティック期。これはフィリー録音を行った『Here To Tempt You』に続く同レーベルでの2枚目にして最終作。旧知のブライアン・ホランドやポール・ライザーらと往年の美意識を蘇らせている。洗練されたファンク路線も快調で、もっと評価されていい佳作だ。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Reunion Gordy(1982)

デヴィッドとエディを呼び戻した7人編成での再結成企画。リック・ジェイムズ制作/客演のパンク・ファンクな “Standing On The Top”が圧巻だが、バレット・ストロングの制作でデヴィッドがリードをとる80sモダンなアップ“You Better Beware”ほか、旧交を温めながらの革新が痛快だ。 *林

 

THE TEMPTATIONS Surface Thrills Gordy(1983)

70年代にフォー・トップスを手掛けた名匠デニス・ランバートとスティーヴ ・バリが制作。アレンジはベンジャミン・ライトらで、打ち込みを多用するもワイルドに吠え歌うリードのデニスと分厚いハーモニーが実に生々しい。サム・ディーズが書いたミディアム“What A Way To Put It”も好演。 *林

 

THE TEMPTATIONS Truly For You Gordy(1984)

アリ・オリの正式加入後初めてとなるアルバム。アル・マッケイとラルフ・ジョンソンの制作で、EW&F作法を採り入れた打ち込みのサウンドで洒脱なアーバン・ソウルを聴かせる。豪快なダンサー“Treat Her Like A Lady”が有名だが、ラストのモダンなゴスペル・ソウル名曲まで完璧な仕上がり。 *林

 

THE TEMPTATIONS Touch Me Gordy(1985)

複数の制作陣を立ててブラコン時代の感覚に対応した意欲作で、なかでもマーカス・ミラー&ルーサー・ヴァンドロスによるダンサー“Do You Really Love Your Baby”の粋なカッコ良さに痺れる。グループのセルフ・プロデュース曲でほぼ全編を采配したアリ・オリの若いセンスも奏功。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS To Be Continued… Gordy(1986)

クラッキンの元メンバーたちによる制作で、デヴィッド・サンボーンがサックスを吹く表題曲などでAOR方向に寄りながら、モータウン・ビートの80s解釈やジェイムズ・クリーヴランド師のクワイアを迎えたバラードも歌ってみせる。“Lady Soul”はアリ・オリ時代を代表する名スロウだ。 *林

 

THE TEMPTATIONS For Lovers Only Motown(1995)

制作過程で急逝したメルヴィンの歌も“Life Is But A Dream”などに残しつつ、急遽レイ・デイヴィスを迎えて仕上げた、リチャード・ペリー制作のスタンダード集。初アルバムとなるセオがアリ・オリとリードを分け合い、上質な大人の一枚に仕上げている。ジミー・ヴァーナーらが援護。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Phoenix Rising Motown(1998)

オーティスが全体を指揮して文字通りの不死鳥ぶりを見せたヒット作。掟破りの“My Girl”をネタ使いしたナラダ ・マイケル・ウォルデン制作の“Stay”を筆頭に、レックス・ライドアウトらが普遍的な味わいを更新している。新加入したテリーの若々しさも含め、気品と威信の漲る名作だ。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Ear-Resistible Motown(2000)

キダー・マッセンバーグ時代のモータウン第1弾は、スロウの“I'm Here”をジョーが手掛け、ジェラルド・リヴァートやナラダ・マイケル・ウォルデンらも制作に関与。94年曲の新版も含め、レーベル仲間の新鋭プロファイルに対抗したような濃厚R&B集で、バーリントンとテリーが鎬を削る。 *林

 

THE TEMPTATIONS Awesome Motown(2001)

メンバー交替もない安定期のオーティス主導作品で、ロンがオジ・ピアースと共作した“So Easy”などは同時代のR&Bと較べるべき出来だ。一方で、ポールがリードを取る63年曲をネタ使いしたリメイク“A Love I Can See”も粋な試み。この後の『Legacy』を最後にモータウンを離れることに。 *出嶌

 

THE TEMPTATIONS Reflections New Door(2006)

ニュー・ドア移籍第1弾は、シュープリームス、フォー・トップス、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5など、自分たち以外のモータウン・ヒットを歌ったカヴァー集。主にGCとロンがリードで活躍し、スティーヴ・ハーヴェイによる生音重視のプロダクションで往年の名曲を貫禄たっぷりに歌う。 *林

 

THE TEMPTATIONS Still Here 10/30(2010)

6年ぶりのオリジナル作。アラバマの制作陣に加えてインプロンプ2のジョニー・ブリットも関与し、“Warm Summer Nights”などスムースなステッパーを挿みつつ、ジェントルなリードと低音重視の分厚いハーモニーでモダンなミディアムやスロウを連発する。ジャケは地味だが内容は濃い。 *林

 

OTHERDISCOGRAPHIC
In A Mellow Mood(1967)
Temptations Live!(1967)
Live At Copa(1968)
Psychedelic Shack(1970)
Christmas Card(1970)
Solid Rock(1972)
1990(1973)
The Temptations In Japan(1973)
House Party(1975)
Wings Of Love(1976)
The Temptations Do The Temptations(1976)
Hear To Tempt You(1977)
Power(1980)
Give Love At Christmas(1980)
The Temptations(1981)
Back To The Basics(1983)
Together Again(1987)
Special(1989)
Milestone(1991)
Legacy(2004)
Back To Front(2008)
All The Time(2018)

 

I COULD NEVER LOVE ANOTHER
耳で聴いたピープル・トゥリー
テンプテーションズをめぐる音楽の果実は、ここに一本のトゥリーを生んだ

文/轟ひろみ

BOYZ II MEN Motown: A Journey Through Hitsville USA Decca(2007)

モータウンのレーベルメイトだった時期にはさしたる絡みもなかったものの、ベース・シンガーを擁した頃はテンプスの正統後継者のようにも見えた彼ら。古巣の名曲を満遍なく歌ったこちらのカヴァー集でも、幕開けはやはり“Just My Imagination(Running Away With Me)”。オーセンティックなソウル・ハーモニーを披露する限り、帝国の影響から逃れることはできないのだ。

 

DARYL HALL & JOHN OATES Live At The Apollo RCA(1985)

〈モダン・ポップ〉を標榜してブレイクした2人だが、その前身はテンプトーンズなるヴォーカル・グループだった。このライヴ盤ではジャケにも大書しているようにデヴィッド&エディを招いて先人に恩返し。ちょうどチャーリー・プースがネタ使いした“I Can't Go For That”も披露していて、歴史の繋がりを感じたりもする。

 

ROD STEWART Vagabond Heart Warner Bros.(1991)

71年の“(I Know)I'm Losing You”から2009年の“Just My Imagination”に至るまで、そもそもモータウン曲を頻繁に歌う御大ながら、伊達な5人への憧れは格別なよう。本作所収のオマージュ曲“The Motown Song”ではその象徴としてテンプスをコーラスに招聘。プロデュースを手掛けたリチャード・ペリーはこの後テンプスとも組んでいる。

 

DIANA ROSS,THE SUPREMES,THE TEMPTATIONS Joined Together:The Complete Studio Duets Motown(2004)

プライムスの女性版=プライメッツを前身とするシュープリームスとテンプスは、モータウンの男女トップとして共作に至る前から、ポールが初期の振付けを担当するなど何かと縁が深かった。この後は女帝となっていくダイアナだが、後に“Missing You”(84年)のMVをポールに捧げてもいる。

 

BRUNO MARS Unorthodox Jukebox  Atlantic(2012)

もともとホテルや観光地などのステージで物真似シンガー的に歌っていた下積み時代のブルーノは、エルヴィスやマイケルらと並んでテンプスもレパートリーとしていた。彼が持ち前のエンタメ精神を古典から消化吸収したのは間違いないわけで、そんなテンプスが今回“When I Was Your Man”をカヴァーしているのは光栄なのかも。

 

MASTERPIECE The Girl's Alright With Me Whitfield(1980)

社会派路線を押しすぎて、甘いスロウなども歌いたいテンプスとの間に溝ができてしまったノーマン・ホイットフィールド。モータウンを離れてから送り出したのが、自身によるテンプスの『Masterpiece』から名を取った男性グループ。テンプス曲をエディ風のリードで歌わせた表題曲など、〈俺なりのテンプス〉像を表現したノスタルジックな名作だ。

 

THE ROLLING STONES It's Only Rock 'N Roll Rolling Stones(1974)

ブリティッシュ・バンドによるモータウン周辺カヴァーなどは挙げればキリがないものだが、ストーンズは“My Girl”や“Just My Imagination(Running Away With Me)”などテンプスのヒットを取り上げる機会が多かった。なかでも本作に収録された“Ain't Too Proud To Beg”は歌い口からしてほとんど素直なコピー状態なのが微笑ましい。

 

PARLIAMENT Osmium Westbound(1970)

叶わなかったことで宇宙への扉が開いたわけだが……もともとパーラメンツ結成時はテンプスのような正統派に憧れてモータウン入りをめざしていたジョージ・クリントン。テンプスのサイケ路線はアイデア盗用だとたびたび訴えてきたが、エディ・ヘイゼルもレイ・デイヴィスもそのブランドは憧れだったようで。

 

The Get Down RCA(2016)

ヒップホップ黎明期を描いてNetflixで人気を博したドラマの豪華メンツによるサントラ。そのなかでテラス・マーティン制作によってテンプスのカヴァー“Ball Of Confusion”を披露しているのが、今月号のP9にて新作を紹介しているリオン・ブリッジズだ。当時のテンプスはストリートの空気と密接な音を奏でていたのだろう。

 

MICHAEL JACKSON Dangerous Epic(1991)

最初はマイケルにとっても目標のひとつだったに相違ないテンプスだからして、その新作に“Remember The Time”のカヴァーが並んでいるのは何とも感慨深い。モータウン離脱時のテンプスがギャンブル&ハフと組むべくCBS移籍を図るも、彼らがジャクソンズを手掛けて多忙だったため移籍を諦めたという逸話もあり。

 

RICK JAMES Street Songs Motown(1981)

テンプスと同じモータウン/ゴーディから登場したファンクの無頼漢。御大のリユニオンを“Standing On The Top”(82年)で盛り上げるのに先駆け、自身のブレイク作では“Super Freak”のコーラスに彼らをフィーチャーしている。後にMCハマー“U Can't Touch This”で執拗に引用されるあのパートはテンプスの歌声なのだ。

 

THE WAY YOU DO THE THINGS YOU DO
テンプスのカヴァー/リメイク/リサイクルはこんな人たちもやってるよ!