自由を履き違えないための、即興の賢者ゆえの矜持
ふと気づけば、キース・ジャレットの弾く『ゴルトベルク変奏曲』が八ヶ岳高原音楽堂で収録されたのが1989年、いまからちょうど30年前のことだった。同じくハープシコードによる演奏で、彼が『平均律クラヴィーア曲集第2巻』を録音したのが1990年5月。『平均律第1巻』をモダンピアノでスタジオ録音したのが1987年2月で、これがバッハからクラシック作品に臨むキース・ジャレットの一連の録音の端緒となった。
そのスタジオ録音のひと月後、1987年3月に、ニューヨークのトロイ貯蓄銀行音楽ホールで行われた『平均律第1巻』のライヴ音源が、いまになって初めてリリースされる。改めて気づくのは、この音楽家は『平均律』の両巻に臨むときも、《ゴルトベルク変奏曲》のように一連の旅として弾き進み、全曲を連想と推移の道行きと捉えているということだ。本作がコンサート・レコーディングであることは、その自然な感興の流れ、表現自体が自律して前へ前へと溢れていく演奏の生命感と熱が通った、奏者のオープンな姿勢をさらに裏づけている。
もちろん、バッハの作品に向き合うときにみせる簡明な厳格さは、インプロヴィゼーションを自在に繰り延べていくときの彼からすれば著しく禁欲的で、『平均律第1巻』について言えば、装飾的な彩りや拡張的な紐解きも控えられている。その意味で限られた音の連なりが、それぞれに瞬間を生きながらフレーズを結び、対位法と和声の融和をみるところに自ずと構築が立ち上がるという、バッハの即興的達成への畏敬を細心に叶えようとしている。
前奏曲とフーガが12組ずつ結ばれ、それぞれの終わりに拍手が沸くまで、これがライヴであることを私は忘れている。禁欲的な抑制のうちに調和の快楽を導き入れようとする意志の持続を追うなかで、聴き手は作品と奏者の緊密な対峙さながらに、この演奏と個的な対話を結ぶ。生の瞬間ごとの充足を生きることで、自ずと構築や技巧の威容が叶えられる、というバッハの音楽思想に寄せるキース・ジャレットの堅い信念の実践である。随所に熱狂や陶酔の表情も帯びるが、それはやはり作品世界との合一を求める精神の法悦のうちに滲む蜜なのである。