伝統的なソウルの品格をモダンな意匠で体現したレトロ・ヌーヴォーの名花

 〈レトロ・ヌーヴォー〉というR&Bのムーヴメントがあった。ジャーナリストのネルソン・ジョージが86年に提唱したそれは、大衆に迎合したクロスオーヴァー志向ではなくR&Bに対して真摯であり続けた、いわばセルアウトしない音楽家たちの新たな発想によるクラシック・ソウルの肯定と再興。音楽としては黒人中産階級に向けた80年代中~後期の都市型メロウR&Bを指すもので、〈クワイエット・ストーム〉と同義と考えてよいだろう。ムーヴメントの始祖はメイズfeat.フランキー・ビヴァリーとされるが、象徴的な存在となったのはアニタ・ベイカー。打ち込み全盛期に生楽器のグルーヴと魂を感じさせる歌にこだわった、古風だが現代的な響きを持つ音楽は、同時期のニュー・ジャック・スウィングの影に隠れながらも静かなブームを巻き起こした。

 アニタよりはデジタイズされたサウンドとストリート感覚を備えていたバイ・オール・ミーンズもレトロ・ヌーヴォーの代表格とされたグループだ。メンバーは、ジミー・ヴァーナーとその妻リン・ロデリック、ビリー・シェパードの3人。彼らをプロデューサーとして支えたのがビリーの兄スタン・シェパードで、グループの頭脳として音作りに貢献した。そもそもバイ・オール・ミーンズの源流を辿ると、スタンが70年代中期に組んでいたフレイヴァという3人組のファンク・ユニットに行き着く。続いてスタンはスティーヴ&ステアリングのライス兄弟とリヴィン・プルーフを結成。それはトリプル・S・コネクションへと発展するも商業的に失敗し、その後スタンを含む元フレイヴァの3人にビリーを加えたスクール・ボーイズとして再出発。80年代前半に3枚のアルバムを出すほどの存在となっている。一方で、ジミーとリンはビル・ウィザーズのツアーで知り合って結婚。夫妻と出会ったスタンは裏方に回り、ビリーを加えてバイ・オール・ミーンズがスタートしたのだ。

 グループの活動期間は80年代後半から90年代前半で、アイランドから2枚、モータウンから1枚のアルバムを発表。ハッシュ・プロダクションやジャム&ルイスの流れも汲むスタンの都会的で洗練されたサウンド、ジミーのテディ・ペンダーグラスを彷彿させる滋味深いバリトン・ヴォイスを軸に、深い夜が似合うメロウで濃厚なソウル・ミュージックを作り上げた。もちろん、出しゃばりすぎずに華を添えたリンの凛とした歌声や、ビリーを含めた洒脱なハーモニーもバイ・オール・ミーンズの美点だ。

 最大のヒットは、89年作『Beyond A Dream』の冒頭を飾ったマーヴィン・ゲイ“Let’s Get It On”のリメイク。レトロ・ヌーヴォーの元祖メイズがマーヴィンをトリビュートした“Silky Soul”と同年のヒットというのもおもしろい。マーヴィンに愛を捧げた彼らは、その後モータウンに入社し、92年作『It’s Real』ではマーヴィンとタミー・テレルの名曲“Ain’t Nothing Like The Real Thing”をカヴァーしている。並行して、鍵盤奏者でもあるジミーはスタンと共にプロデューサーとしても活動。テンプテーションズやジェラルド・アルストン、ジーン・ライスといったリアルなソウルの歌い手をバイ・オール・ミーンズ流儀のジャジーでムーディーなサウンドで包み、レトロ・ヌーヴォーの言葉通り、懐古的にして新しいものとして送り出した。

 グループの活動停止後、ジミーは(元大関の)小錦のデビュー作などに裏方として関わり、リンはマイクリン・ロデリック名義でソロ・アルバムを発表。グループ絶頂期の89年にジミーとリンの間には娘エル・ヴァーナーが誕生しているが、現在R&Bシンガーとして活動するエルを音楽面でサポートするジミーによって、バイ・オール・ミーンズのレトロ・ヌーヴォーな精神は現代にも受け継がれている。 *林

関連盤を一部紹介。
左から、テンプテーションズの95年作『For Lovers Only』(Motown)、マイクリン・ロデリックの2007年作『Copasetic Is』(Dome/Pヴァイン)、エル・ヴァーナーの2012年作『Perfectly Imperfect』(RCA)