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いくつかの別れと闘病を経て

 しかしヒットの定石に縛られない彼女は、4作目『Goodbye Lullaby』(2011年)でまたもや方向転換。マックス・マーティンがプロデュースした先行シングル“What The Hell”こそ前作の延長上にあったが、アルバムそのものはもっぱら抑制の効いたシンガー・ソングライター然としたスタイルに貫かれており、内省へと向かったそれら楽曲群は、『Let Go』にも感じられた、アラニス・モリセットやサラ・マクラクランら同郷の女性アーティストたちからの影響を匂わせるものだった。こうしたアプローチを選んだ背景にデリックとの関係の破綻があったことは想像に難くなく、ビターな別れの曲と、新しい恋の始まりを描く曲が混在。にもかかわらずデリックが多くの曲のプロデュースを手掛けていたことも、リスナーを驚かせた。

 それから間もなくしてアヴリルは、デリックと同様にカナダ人のミュージシャンで、ニッケルバックのシンガーであるチャド・クルーガーと交際を始め、5作目『Avril Lavigne』(2013年)ではそのチャド、ボーイズ・ライク・ガールズのマーティン・ジョンソン、元エヴァネッセンスのデヴィッド・ホッジスといったロック・アーティストたちと共作。タイトルが示す通り、ポップ・パンク、アンセミックなロック、オーケストラを配したバラード、マリリン・マンソンをフィーチャーしたヘヴィ・ロック、あるいは日本のファンを湧かせたアヴリル流EDMとでも呼ぶべき“Hello Kitty”などなど、それまでの10年間の音楽遍歴を網羅しつつ新境地も拓いた、かつてなく多様な一枚となった。

 そんな『Avril Lavigne』からも“Here’s To Never Growing Up”が世界規模のヒットを博し、2014年には〈サマソニ〉への出演を含めて、2度にわたる来日ツアーを敢行。順調にキャリアを重ねていたのだが、ここにきてひとつの大きな試練と直面する。2010年に難病を患う人々のサポートを目的に掲げてアヴリル・ラヴィーン財団を設立していた彼女が、みずから難病のライム病に罹患。ほとんど寝たきりの状態に陥り、一時は生死の境をさまようほど病状が悪化したという。それでもなんとか危機を切り抜けると、闘病生活をインスピレーションに転化して、ソングライティングを再開。数多くの曲が生まれた。その筆頭が、スピリチュアルな内容ゆえにアメリカではクリスチャン・ミュージック系チャートでもヒットを記録した、壮大なロック・バラード仕立てのファースト・シングル“Head Above Water”だ。

 もっとも、同名の6作目のアルバム『Head Above Water』(2019年)のほうは決して、試練の克服というテーマに特化した重い作品ではなかった。この頃には離婚に至っていたチャドや、エモ・バンドのウィー・ザ・キングスを率いるトラヴィス・クラークから、久しぶりの共作となったマトリックスのローレン・クリスティまで多数の共作者/プロデューサーを起用したアヴリルは、ノスタルジックでジャジーなテイストを掘り下げたり、“Dumb Blonde”では初めてラッパー(ニッキー・ミナージュ)と共演したり、ふたたび音楽を作り、歌うことができる喜びを純粋に楽しんでいるようにも見えた。