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永遠の功績

 78年にクインシーはダイアナ・ロス主演のミュージカル映画「ウィズ」で音楽を担当し、出演者のマイケル・ジャクソンからソロ・アルバムのプロデューサー候補を推薦するよう頼まれる。そこで結局みずからプロデュースを申し出た……というのも有名な話だろう。当時のクインシーはすでに45歳で、ジャズ界の実績が主となるヴェテランではあったが、70年代に入ってソウル/ファンクへと接近したリーダー作は軒並みクロスオーヴァー・ヒットを記録し、自身の後見するファンク・ユニットのブラザーズ・ジョンソンでは“I’ll Be Good To You”(76年)などのTOP10ヒットを連発していた。そうしたメソッドも注ぎ込む格好で生まれた『Off The Wall』(79年)はマイケルのその後のソロ・キャリアを運命づける記録的なヒットになり、その采配を評価されたクインシーもまた新たな全盛期へと突入していくことになる。彼の取ったプロデュース作法は、自身のリーダー作と同じく、優れたプレイヤーやソングライター、エンジニアらを適材適所で起用して楽曲を作り上げていくというもの。そのチームを機能させることでクインシーはコンテンポラリーなヒットを次々に生み出し、ワーナー傘下に新たに設立したクウェストからジョージ・ベンソンやパティ・オースティン、ジェイムズ・イングラムらをスターダムに押し上げていく。それに前後した81年には“Ai No Corrida”で知られる自身のリーダー作『The Dude』をソロ・キャリア最大級のヒットに導きもした。

 そうした状況を経て完成したのが、結果的に地球上で最大のセールスを叩き出したマイケルとの次作『Thriller』(82年)である。そして、そんな絶頂期を象徴する仕事が、エチオピアの飢餓被害者へを援助するためのプロジェクト=USAフォー・アフリカ名義でのチャリティ・ソング“We Are The World”(85年)のプロデュースだった。85年のアメリカン・ミュージック・アワード授賞式後に行われたレコーディングには、マイケルはもちろん、スティーヴィー・ワンダーやライオネル・リッチー、ダイアナ・ロス、さらにブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエル、ポール・サイモン、シンディ・ローパーら幅広いフィールドのトップスターが集結。そこにボブ・ディランや旧友レイ・チャールズまでを呼び寄せるパワーはビジネス面でも多大な影響力や人脈を誇るQならではの仕事ぶりだったと言えるだろう。さらに華やかな大仕事は続き、同じ85年には映画プロデューサーとしてのデビュー作となるスピルバーグ監督の映画「カラーパープル」を製作。同作はウーピー・ゴールドバーグとオプラ・ウィンフリーを世界に紹介する役割を果たした。

 一方で、マイケルと組んだ3度目のアルバム『Bad』(87年)では、引き続き共同プロデューサーにクレジットはされているものの、成長して自身のヴィジョンをより明確にしたマイケルとは衝突を繰り返す結果となり、前2作と比べてクインシーの役割は大きく後退。クインシーがアレンジに名を連ねている曲といない曲を聴き比べてみると何かが見えてきたりもする。もともと両者の間では3枚契約だったそうだが、これが2人が揃って仕事をした最後の作品となった。

 その『Bad』の頃が転換点ではあったのだろう。以降のクインシーは直接クリエイティヴ面にタッチするプロデュース業からは緩やかに手を引いていき、エグゼクティヴとしてプロジェクト全体を統括する、よりビジネス面に寄った動きへと軸足を移している。そのなかで例外だったのが自身名義のリーダー作で、89年のヒット作『Back On The Block』は当時では珍しいラッパーたちも輪の中に入れた新旧世代の音楽家たちの交流の場として機能した。続く95年の『Q’s Jook Joint』も同じくジャズやブルースからソウル、ファンク、ディスコ、ヒップホップまでの音楽を一本の流れで繋いで見せるプロジェクトとなり、その役割によってクインシーの名前は90年代に急成長したR&B/ヒップホップ・シーンにおいても親しまれていたはずだ。なお、90年代以降もクウェストはテヴィン・キャンベルやタミアといったクインシーお墨付きの新顔を送り出していたし、「Vibe」誌などのメディアを興して舞台裏で音楽シーンを支えていたことも忘れてはいけない。そのようにビジネスマンとしての権威を用いつつ、彼はまさにコンダクターとして業界全体をさまざまな角度から指揮し続けていたのだ。

 2010年にはハイチ地震の被災者支援のため、ちょうど25周年となった“We Are The World”の再レコーディングが行われているが、その際も多くのアーティストを指揮したのは当時77歳のクインシーであった。2010年代はニッキー・ヤノフスキーやアルフレッド・ロドリゲス、ジェイコブ・コリアーらを後見し、2020年にはトラヴィス・スコット&ヤング・サグによる“Out West”のMVに出演。音楽界の長老として振る舞いながら、2022年にはウィークエンドのアルバム『Dawn FM』で“A Tale By Quincy”としてモノローグを披露。2023年にはリメイク版「カラーパープル」のエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされていた。

 この世を去る前の2024年6月にクインシーはアカデミー名誉賞を受賞している。審査によって選ばれるのではない特別賞もカウントすれば、彼はいわゆるEGOT(エミー、グラミー、オスカー、トニー)の持ち主でもある。ただ、そうした業界力学だけに彼の凄さがあるのではないということは、クインシーの手掛けてきた仕事に触れればわかるのではないだろうか。 *出嶌孝次

クインシー・ジョーンズが手掛けた作品。
左から、ダイナ・ワシントンの55年作『For Those In Love』(EmArcy)、レイ・チャールズの59年作『The Genius Of Ray Charles』(Atlantic)、ペギー・リーの60年作『If You Go』(Capitol)、ダニー・ハサウェイの72年作『Come Back Charleston Blue』(Atco)、アレサ・フランクリンの73年作『Hey Now Hey (The Other Side Of The Sky)』(Atlantic)、レスリー・ゴーアの76年作『Love Me By Name』(A&M)、78年のサントラ『The Wiz』(MCA)、マイケル・ジャクソンの82年作『Thriller』、同87年作『Bad』(共にEpic)、ドナ・サマーの82年作『Donna Summer』(Geffen)、ニッキー・ヤノフスキーの2014年作『Little Secret』(A440)、ノアの2019年作『Letter To Bach』(Naive)、2023年のサントラ『The Color Purple』(WaterTower)

クインシーの参加作。
左から、ジョン・ベリオンの2018年作『Glory Sound Prep』(Capitol)、コーデーの2019年作『The Lost Boy』(Atlantic)、ウィークエンドの2022年作『Dawn FM』(Republic)

クインシー・ジョーンズの生誕80年を記念したベスト盤『Q80 Greatest Hits』(ユニバーサル)