
PEOPLE TREE
耳で聴いたピープル・トゥリー
互いに10代で知り合ったレイを仕事上の手本とし、50年代からレコード上でもアレンジなどで貢献してきたクインシー。その後も“We Are The World”などの大舞台にたびたびレイを招き、90年代には自身の主宰するクエストに迎え入れたほか、死後のコラボ集『Genius & Friends』(2005年)でも総指揮を務めた。

クインシーを〈Q〉と呼んだのは、業界の大首領たるシナトラで60年代にはカウント・ベイシー楽団との共演作でクインシーが指揮を担当したこともあった。こちらはクウェストにてクインシー制作/指揮で作られたヴォーカル・アルバム。ジョージ・ベンソンやボブ・ジェイムズらを召集した豪華な内容になっている。
すべての可能性を開いた最初のプロデュース作品。ロッド・テンパートンによる“Rock With You”をはじめ、ルイス・ジョンソンやジョン・ロビンソン、デヴィッド・フォスターらがクインシーの采配で演奏に参加。もともとフランク・シナトラのためにキープしていたというバラード“She’s Out Of My Life”をここで提供したのもクインシーの英断だった。

クインシーが昔の曲を演奏するよう帝王を説得して実現したという、91年7月8日の〈モントルー・ジャズ・フェスティバル〉におけるパフォーマンスの模様を収めたもの。内容はギル・エヴァンスのトリビュートで、すでに重病だったマイルスにとって生前最後の録音となった。
クインシーにもっとも寵愛/重宝された女性シンガーのひとり。コーラスなどでたびたび起用された後、クウェストに移籍して放ったのがこちらのヒット作だ。ここからはジェイムズ・イングラムとのアダルトなデュエット“Baby, Come To Me”が全米No. 1を記録した。
クインシーにとって最初の全米No. 1ヒットが、みずから見い出したこのNY出身のティーン歌手による“It’s My Party”(63年)。後にエイミー・ワインハウスにも歌わせた同曲を筆頭に、彼がマーキュリーを去るまでコンビでTOP 10ヒットを連発。思い入れがあったのか70年代にはA&Mで『Love Me By Name』をプロデュースした。

ナズとヒットボーイによる“Quincy & Michael”でも例えられた名タッグの仕事にオマージュを捧げたのが、78年をテーマにホセ・ジェイムズが作ったこちらのアルバム。軽快なディスコ調の“Saturday Night (Need You Now)”はモロに当時のクインシー&マイケル仕様だ。



