さまざまなバンドでの奮闘
ジェフ・ベック、本名ジェフリー・アーノルド・ベックは、1944年6月24日に英国のウォリントンで生まれている。両親と姉との4人家族で、小学校の頃からピアノやヴァイオリンを習っていたが身に付かず、ラジオでレス・ポールの演奏を聴いて感銘を受けたことからギターに興味を持つようになったそうだ。ロックンロールやロカビリーに親しんだティーンの時分に影響を受けたのは、ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのリード・ギタリストだったクリフ・ギャラップ、さらにはバディ・ホリー、BB・キング、ブッカーT & ザ・MG’sのスティーヴ・クロッパーといった面々。彼は葉巻の箱などを用いてギターを自作し、それを両親にたびたび捨てられたりしながらも独自の楽器への愛を深めていった。
16歳になってウィンブルドン美術大学に入学したベックは、63年に人生最初のバンドであるナイト・シフトを学友たちと結成し、地元のクラブなどで演奏活動を始める。別のランブルズというバンドへの参加を経て、大学を辞めてからは新たなバンドのトライデンツを結成(後年のアンソロジーや近年の編集盤などで当時の音源も公式に残されている)。リズム&ブルースをレパートリーにリード・ギタリストとして才能を発揮していった。それと並行して、姉と同じアートスクールに通っていたジミー・ペイジを紹介されて意気投合したことが、その後のキャリアに繋がっていった。
いくつかのレコーディング参加の経験名度を経た65年、セッション・ミュージシャンとして活躍していたペイジの推薦によって、ベックはエリック・クラプトンの後任としてヤードバーズに加入する。ベック加入後の最初のシングル“Heart Full Of Soul”は英米で大ヒットとなり、ベックは2年足らずの在籍期間中に“Shape Of Things”や“I’m A Man”“Train Kept A-Rollin”などヤードバーズにとっての重要な録音を残した。ただ、活動への不満やストレスを溜め込んだベックは66年に“Beck’s Bolero”というインストをペイジやジョン・ポール・ジョーンズ、キース・ムーン(ザ・フー)、ニッキー・ホプキンスと録音。当時はそのメンツでレッド・ツェッペリンという名前の新バンド(!)を組む案もあったそうだが実現には至らず。ペイジが新加入したヤードバーズのツアー中に失踪したベックは、結局バンドを解雇されている。
翌67年になると彼はミッキー・モストをプロデューサーに迎えて、初のソロ名義シングル“Hi Ho Silver Lining”(先述の“Beck’s Bolero”がB面に収録された)をヒットさせる。そこでは自身がヴォーカルも担当していたが、その間にベックはジェフ・ベック・グループ(以下JBG)と呼ばれるバンドを結成。ロッド・スチュワート(ヴォーカル)、ロニー・ウッド(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、エインズレー・ダンバー(ドラムス)という布陣でアルバム制作に入った。途中でドラマーがミック・ウォーラーに交代するも、完成した68年作『Truth』(ジェフ・ベック名義)と続く69年作『Beck-Ola』はいずれも全米15位のヒットを記録。ベックの歪んだギターとロッド・スチュワートの嗄れた歌声のコンビネーションが支持されるも、人間関係は安定せずJBGは69年に解散。ブライアン・ジョーンズの後任としてローリング・ストーンズへの加入を打診されていた(!)ともいうベックは、その時期にヴァニラ・ファッジのティム・ボガート(ベース)、カーマイン・アピス(ドラムス)との新バンド結成を画策していたが、ベック自身の交通事故によって計画は延期になってしまった。