伊藤政則漬けな青春
西山「武田さんは偏らずにメタルを聴いている印象があります」
武田「そうですね。政則さんがテレビ神奈川でやっていた『BANG UP ROCK』を録画して何度も見て、どんどん知識をつけていきました。『BURRN!』のバックナンバーもブックオフで大量に買い、過去のバンドも学んでいきました。当時は、『BURRN!』のレビューの点数が強い権力を持っていたじゃないですか。なので、その点を信じてCDを買って……というまっすぐな染まり方をしていました(笑)」
西山「勉強する感じで聴いていたんですね」
武田「まさに。僕は東京都東大和市という多摩地方に住んでいたのですが、BAYFMの『POWER ROCK TODAY』の電波が入りにくかったんです。一方で、政則さんがFM FUJIでやっていた番組(『ROCKADOM』)は聴けました。そちらではプログレやロッククラシックがかかっていて、中高生の自分がマニアックなリクエストハガキを出せば読んでくれるんじゃないかと思い、余った年賀状にリクエストを書いて送っていましたね。ハガキを読まれたときは、すごく嬉しかったです。かなり政則漬けな青春でした」
西山「そんな方が、いま政則さんの本を作っているんですもんね。制作に長い時間がかかっているようですが(笑)」
武田「政則さんの自伝ですね。何十時間もインタビューをして、原稿をまとめて、あとは政則さんの直しを待っているところですが……待ち続けております(笑)。当然ですが、自伝というのは何冊も出るものではないので、決定的な一冊にできればなと。チェックしながらも様々な事象を思い出されて書き足しているのだと思います。インタビューしていても感じたことですが、政則さんって、記憶力が半端ないので」
西山「そうなんですよね」
武田「日本におけるヘヴィメタル史=伊藤政則史だと思うので、早めに仕上げたいのですが……。今年中にはさすがに出せると思います。日本のヘヴィメタル史としても決定版になるはずです。
さっきも言った1995~1997年頃って、フェア・ウォーニングが代表的なように日本でしか売れないバンドが出てきた時代でした。その時期に、いかに日本独自に売れるHR/HM市場を作ってきたのかが政則さんの口から語られています。『BURRN!』も、その頃がいちばん部数が出ていたと聞いたことがあります。日本独自のメタルの波があったからこそ、自分が中高生時代にハマることができたんだなと」
音楽誌文化に学んだこと、育てられたこと
西山「武田さんは、いまメタルの書き物の仕事はされていますか?」
武田「たまにライナーノーツを書くぐらいですね。『ヘドバン』も雑誌としては開店休業状態ですが、増刊号的な立ち位置のものには書かせてもらっています。僕は、『BURRN!』に限らず音楽雑誌で育ちました。ライターを始めたのも『beatleg』というブートレッグ盤を中心とした雑誌で、そこで学んだカルチャーは大きいですし、大事にしています」
西山「『BURRN!』で書いたことはあります?」
武田「投稿して載ったことは何度かあります。最初に載ったのは、大学1年の4月の最初の週です。入学直後に〈チャラチャラしていて、この大学は合わないな〉と思ったんですよ(笑)。で、大学の帰りに新宿の本屋で『BURRN!』を立ち読みしたら、プライマル・フィアというドイツのバンドについて書いたレビューが載っていて嬉しかったですね。〈お前らみたいな調子に乗ってる大学生なんかに負けねえ。こっちは音楽ライターとしてやってくんだ!〉と強い意志を持ちましたね(笑)。いまはいろんな雑誌で書いていますが、あのときほど雑誌に載った自分の名前に興奮することはないので、初心を忘れないようにしています」
西山「もともと音楽ライターになりたかったんですね」
武田「なりたかったですね。当時はまだ、『rockin’on』の読者投稿欄に載ることがかっこいいとされていましたし、『BURRN!』の別冊『炎』もよく読んでいて、そこに〈24歳、クリーニング屋勤務〉みたいな人が何ページも書いていたり、〈自分も書いてみたい〉と奮い立ったりしていました。音楽ライターに対する憧れがあったし、予備軍みたいな人たちにも触発されました。自分が書いて送ったわけじゃないのに、〈あ、またこの人が載っている〉と悔しがってみたり」
西山「メタル専門誌で書いたことがあるのは『ヘドバン』ですか?」
武田「そうですね。いまは、書き手の受け皿になる音楽誌がないのが残念です。『BURRN!』も読んでいますが、僕が学生の頃から変わらない人たちが書いていますものね(笑)。『ヘドバン』は、『BURRN!』が固めてきた価値観を壊して広げたいメタルファンの苛立ちを汲み取った雑誌なので、まだまだ続けてほしいですね」