メタルはどう〈老いる〉ことができるのか?
西山「お仕事を含め、毎月かなりの数のライブに行っていますよね」
武田「ライブが決まるのは半年前とかなので、半年後って予定が空いているじゃないですか(笑)。当日になるとドタバタで、いまは朝のラジオ(『武田砂鉄 ラジオマガジン』)もやっているので、頑張ってむりやり行くことになるんですが、来日公演って、いつが最後になるかわからないですからね。〈今回で最後〉詐欺にも何度も遭っていますけどね。ナイト・レンジャーがフェアウェルツアーをやるというので行ったら、今年もやって来るとか。〈もうちょっと期間を空けろよ〉と思ったりしますが、健やかに詐欺に騙されるのも悪くないかなと」
――思い出深い来日公演はありますか?
武田「いちばん悲しかった思い出として、高校時代、大好きだったカテドラルがO-EASTで来日公演をやって、オレンジ・ゴブリンというストーナー系バンドが前座に呼ばれたんですね。ライブの前日、僕はバレー部の練習で捻挫しちゃって行けなくなり、兄に行ってもらったんです。で、帰ってきた兄に〈どうだった?〉と聞いたら、〈たいしたことなかった〉と言った。これにものすごく腹が立った(笑)。
その後、カテドラルは何度も来てくれたんですが、オレンジ・ゴブリンはずっと来てくれませんでした。でも、一昨年、やっと来てくれたんですよ。翌年、解散してしまったので、それがさよならコンサートになりました。なので、オレンジ・ゴブリンを30年越しに見ることができたのは感激でしたね。
20年、30年とメタルを聴いていると、好きだったバンドが戻ってきたり、逆に最後のライブをやったりと、バンドの変遷の物語を感じられる。それが面白くもあり、寂しくもあります。これからいろんなバンドが閉じていくと思うし、それを寂しさとともに見届けるのが楽しみでもあります。メタルは身体に負荷がかかる音楽で、ほかの音楽と比べて引退の時期が早いかもしれません。突然の別れが来るかも、と身構えています。メタルの歴史は、そういう時期に差し掛かっていますよね」
西山「メタルの全体像を見つづけている人の視点ですね。すごい。メタルには、ファンがミュージシャンの衰えを許さないところがあるじゃないですか。それがすごく嫌で。私はジャズをやっているからかもしれませんが、20代と70代で同じ声が出せるわけないやんと(笑)。そんな当たり前のことをなんで許さへんのかなって」
――ジャズでは〈枯れ〉も魅力のひとつになりますが、メタルと〈枯れ〉は相性が悪いですよね。
武田「ロブ・ハルフォードのように70代で声がさらに出るようになった超人もいますが、〈朽ちたメタル〉というものが存在しうるのかは興味深いですね。ローリング・ストーンズだったら、キース・リチャーズがステージに立って、ラフな演奏をしても許される。でもメタルでは、そうはいかないですから」
西山「〈Back To The Beginning〉でのブラック・サバスの演奏は、完全に枯れていましたね。でも、サバスのレベルまでいかないと許されへんのかな、とも思いました」
武田「あれはメタル史において、枯れていく姿を提示した大事な場面だったかもしれません。この前知って驚きましたが、スリップノットだってデビューして四半世紀ぐらい経っている。この人たち、いつまで仮面を被って暴れられるんだろう?と思います。メタルの成熟可能性について考えてしまいますね。
先日、『ドキュメント72時間』でタワレコ渋谷店が特集されていましたが、メタルコーナーにいたおじさんが取材を受けていたんです。イングヴェイ・マルムスティーンのボーカリストだったマイク・ヴェセーラの新譜をしみじみと試聴しながら、〈彼はまだ高い声が出ているので、僕も頑張ろうと思いました〉と言っていて、これがメタルの現在地であり、希望でもあり、限界でもあるのかなと(笑)。〈ヘヴィメタルの“大御所”〉というテロップには〈そうでもないぞ!〉とツッコんでしまいましたが」

メタルは内に問いかける音楽
西山「メタルを聴いてきたことで育てられた思想や哲学はありますか?」
武田「原稿を書いているときはいつもメタルを聴いているので、その状況を他人が見たら、〈どうしてこの状況で書けるんだろう?〉と思うのではないかと(笑)」
――原稿の内容と鳴っている音楽との乖離がすごそうですね(笑)。
武田「それでずっとこの仕事をやってきたので、もう身体の一部と化しています(笑)。
僕は、メタルが発散するタフで強い力って、人をぶん殴るようなものじゃなく、内に問いかけてくるものだと思っています。一概には言えませんが、パンクやハードコアには外向きの力がありますが、メタルは内側で渦巻いてドロドロと循環させる感覚があります」