聖地・上野で聴く、漱石たちが見た夢

 徳川慶喜が朝廷に大政奉還した1867(慶応3)年に生まれ、押し寄せる性急な〈近代化〉の嵐に抗いながら〈人はどうあるべきか〉という普遍的テーマを自問しつつ、職業作家としての道を全うした夏目漱石。少年時代から漢籍を教養として育ち、(トップクラスの英文学者として期待された)英国留学から帰国後も、西洋的なるものに違和感を抱き続けていた漱石が、クラシック音楽には素直に心を開き、愛好していたことは意外に知られていない。その指南役だったのは、(漱石が講師として赴任した)熊本の第五高等学校時代からヴァイオリンを嗜んでいた、弟子の寺田寅彦(※「吾輩は猫である」の水島寒月のモデルとしても有名)。ふたりの日記や手紙によると、生涯に少なくとも12回の洋楽コンサートと2回のオペレッタ公演にでかけていた漱石は、いわば日本のクラシック・ファンのはしりと云える。

 さて、そんな漱石の生誕150年にあたる今年は、明治日本における洋楽の本拠地〈東京音楽学校奏楽堂〉と同じ上野の地に建つ、クラシックの殿堂〈東京文化会館〉を会場にした記念企画が目白押しだ。先ずは、著書「漱石が聴いたベートーヴェン」(中公新書)などで知られる、文学者たちの洋楽受容に関する音楽学研究のスペシャリスト、瀧井敬子が総監督/監修を務める〈漱石が上野で聴いた「ハイカラの音楽会」〉(10月15日、大ホール)から。本公演は漱石と寅彦らが足を運んだ、1912(明治最後の45)年6月9日に件の奏楽堂で開催された、同校の定期演奏会のプログラムをそっくり再現したもの。石倉小三郎訳による日本語で初めて歌われたシューマン〈流浪の民〉や、今では楽譜が絶版のバッハ=アーベントの作品などで構成。日記にもはっきりと〈ハイカラの日だった〉と記している文豪の美意識を、山田和樹の指揮と遠藤真理(チェロ)らソリストたち、横浜シンフォニエッタと記念合唱団(東京混声合唱団&漱石と縁の深い岡山・真庭市エスパス混声合唱団)の演奏によって追体験できる絶好の機会だ。当日はバリトン歌手の大久保光哉がナビゲーター役を務めるとか。会場ロビーに展示される貴重なオリジナル資料も楽しみだ。

 レクチャーコンサート〈漱石の体験した洋楽―室内楽と喜歌劇《ボッカチオ》〉(10月28日、小ホール)は、漱石が実際に耳にした室内楽2曲と帝国劇場で観たオペレッタを瀧井敬子の解説と共に。特に中編小説「野分」にも登場するガーデ作曲のピアノ・トリオは、奇しくも111年前の同じ10月28日に上野で演奏されたものだとか。女将さんたちの下世話な浮気話からお嬢さんたちの美しい恋物語へ(ハイソな帝劇のお客さん用に)台本を書き換えられた「ボッカチオ」日本初演版も面白そうだ。

 そして注目すべきは米国のジャパン・ソサエティーとの共同制作による「夢十夜」原作とする現代オペラ「Four Nights of Dream」の日本初演(9月30日、10月1日、小ホール)。ニューヨークを拠点に活躍する日本人作曲家、長田原(おさだもと)が自ら台本(英語)も書いた本作はもともとスウェーデンのオペラ・カンパニーの委嘱作品。同小説から「第二夜」……悟を得ることができず座禅に苦しむ侍の話、「第十夜」……庄太郎という若者が美女の誘惑に負けたがために大嫌いな豚になめられる話、「第三夜」……不気味な子どもを背負って歩く父親の話、「第一夜」……死んだ女性を100年待つ男の話、の順に4篇抜粋してそれぞれ異なるキャラクターで作曲。「オペラの伝統に対するオマージュとパロディ。前衛音楽に対する揶揄や離脱、と同時に逃れられない影響を持つ」と語る意欲作だ。歌手及び演奏家には日米の新進気鋭のアーティスト、指揮者には今最も勢いのある若手、謙=デーヴィッド・マズアを起用。ブルックリンで前衛シアターの一躍を担うアレック・ダフィーが演出、トニー賞 ミュージカル装置デザイン賞を受賞したミミ・リエンが美術を担当。東京公演に先立ってNYでも9月に上演を予定しており、そちらの観客の反応にも大いに期待したいところ。

 さあ、この秋は上野でとっておきの西洋音楽体験を!

 


EVENT INFORMATION
舞台芸術創造事業 夏目漱石生誕150年記念  オペラ『Four Nights of Dream』[日本初演]
2017年9月30日(土)、10月1日(日)東京・上野 東京文化会館 小ホール
開演:15:00
長田原作曲・台本 オペラ「Four Nights of Dream」
原語(英語)上演・日本語字幕付き
(夏目漱石の『夢十夜』の「第二夜」「第十夜」「第三夜」「第一夜」を原作としたオペラ作品)
指揮:謙=デーヴィッド・マズア
演出:アレック・ダフィー
舞台美術:ミミ・リエン
[ナレーター/女声コーラス1]マリサ・カーチン(ソプラノ)
[侍/男声コーラス1(息子)]マコト・ウィンクラー(バリトン)
[女声コーラス2/婦人]グロリア・パーク(メゾ・ソプラノ)
[庄太郎/男声コーラス2/男性]ジェシー・マルジィリー(バリトン)
[健さん/父親]クリストファー・ソコロフスキー(テナー)
[男声コーラス3]ロッキー・セラーズ(バス)
管弦楽:Tokyo Bunka Kaikan Chamber Orchestra

左から、謙=デーヴィッド・マズア、ミミ・リエン、アレック・ダフィー、長田 原

シャイニング・シリーズ Vol.1
レクチャーコンサート「漱石の体験した洋楽─室内楽と喜歌劇《ボッカチオ》

2017年10月28日(土)東京・上野 東京文化会館 小ホール
開演:15:00
企画・解説:瀧井敬子

夏目漱石生誕150年記念企画「漱石が上野で聴いた「ハイカラの音楽会」
2017年10月15日(日)東京・上野 東京文化会館 大ホール 
開演:14:00
総監督(企画・監修):瀧井敬子
指揮:山田和樹
出演:横浜シンフォニエッタ ほか

https://www.t-bunka.jp/