開放的なLAの熱気と瑞々しい時代の息吹を吸い込んで、ポスト・ディスコ期のソウル/ファンクに新しい扉を開いた80年代指折りの名レーベル。多くの才能と膨大なヒットによってトップに君臨したその栄光の歴史を、名作たちの一部と共に振り返ってみよう!

 〈80年代のモータウン〉と呼ばれることも当時は決して大袈裟ではなかったに違いない。〈Sounds Of Los Angeles Records〉の頭文字から取られたソーラーは、いかにも80年代らしい象徴的なレーベルを思い浮かべた際に多くのソウル・ファンが真っ先に挙げるに違いない、伝説的なブラック・カンパニーである。

 そもそもソーラーは、プロモーター/ツアー・マネージャーとして業界で活躍してきたディック・グリフィーが、人気TV番組「Soul Train」のプロデューサー兼ホストであるドン・コーネリアスと組んで75年に立ち上げたレーベル=ソウル・トレイン・レコーズを前身としている。ソウル/ディスコやダンスの普及に多大な影響を誇ったTV番組を冠するレーベルということで、最初の所属アクトは番組出演のダンサーたちで結成されたソウル・トレイン・ギャングだった。そこから抜擢されたトリオのシャラマーもプッシュする一方で、グリフィーは60年代から実績のあったウィスパーズも口説き落とし、そのバック・ヴォーカルだったキャリー・ルーカスもデビューさせるなど、76~77年にかけてラインナップを充実させていく。その後、番組運営に専念するべくコーネリアスがレーベルから手を引いたのを契機に、78年にグリフィー主導で改名~再出発したのがソーラーというわけだ。

 ソーラーが始動した頃は70年代ディスコ・ブームの爛熟期でもあったが、その一歩先を行く独自のサウンド作りで脚光を浴びたのが専属プロデューサーのリオン・シルヴァーズ3世だ。LAを拠点に兄弟グループのシルヴァーズで成功を収めていたリオンは、シャラマーやウィスパーズのプロデュースに参画し、グリフィーが新たに契約したオハイオ産バンドのレイクサイドのソーラー・デビュー作も制作している。79年にはシャラマーの“The Second Time Around”、ウィスパーズの“And The Beat Goes On”などが次々にヒットを飛ばしたリオンは、男女ヴォーカルを擁するバンドのダイナスティを指揮していわゆる〈ソーラー・サウンド〉を確立。そのLA流儀のグルーヴィーなファンク・サウンドは、80年代に突入するやレーベルの勢いをさらに加速させていくことになった。

 この時期のソーラーの特徴としては、自社のアーティストがプロデューサー/ソングライターとして成長し、裏方としても名を馳せていったサイクルが挙げられる。先述のレイクサイドはセルフ・プロデュースに転じてから最大のヒット“Fantastic Voyage”を放ち、メンバーのスティーヴン・ショックリーやオーティス・ストークスは後進のクライマックスを手掛けていくことになるし、ケンタッキー出身バンドのミッドナイト・スターもメンバーのレジー・キャロウェイ主導で独自のエレクトロ・ファンク路線を切り拓いた。そのキャロウェイの指揮下でデビューしたのが、LA・リード&ベイビーフェイスのコンビを輩出するディールだ。また、こうした折々の才能に力を借りて傑作を生んでいったウィスパーズも、メンバーのニコラス・コールドウェルがコラージュをバックアップするなど、相互に作用することによって大きな勢いを生み出していた。

 84年からは傍系レーベルのコンステレーションをMCA流通の別ブランドとして再設定し(クライマックスやキャリー・ルーカス、コラージュが移籍)、最盛期にはベリー・ゴーディJrがモータウンの売却先として検討していたとされるほど、権勢を誇ったソーラー。ただ、リオンが83年頃からソーラー外での制作仕事をメインに切り替えたり、看板アクトのシャラマーが次々にメンバー交替(脱退したジョディ・ワトリーとハワード・ヒューイットはメジャーに移ってソロで成功)するなか、80年代半ばあたりからレーベルの勢いは徐々に落ち着いていく。もちろん大所帯ファンク・バンドのサウンドや美学が時流とすれ違っていったこともあるが、急速に進化した80年代後半~90年代のシーンに対して、ソーラーは新たなカラーを打ち出すことができなかった。90年代初頭にデス・ロウ設立に力を貸すなどいくつかの動きはあったが、往時のソーラーが甦ることはなかったのだ。

 とはいえ、80年代後半~90年代のR&Bシーンを構築した最重要な一角が、ディールを離れてラフェイスを設立したLA・リード&ベイビーフェイスであったことも言うまでもない。また、クライマックスを脱退したジョイス“フェンデレラ”アービーはアトランタに移って若きダラス・オースティンを発掘し、以降も2000年代にかけてサミーやロイドらの才能を世に出していくことになる。ラフェイスがブレイクさせたアッシャーとダラスの送り出したモニカが後にミッドナイト・スターの名曲“Slow Jam”をカヴァーしているのは、90年代R&Bの隆盛がどこから来たのかを示す出来事のようでもあった。もちろんそれに限らず黄金のソーラー・クラシックは現在に至るまで何度となくリサイクルされて評価を新たにしている。そうでなくても、このレーベルがシーンに落としてきた影響が消え去ることはないのだ。 *出嶌孝次

DJ OSSHYのミックスCD『HAPPY DISCO 2 ~SOLAR NIGHT~』(OCTAVE)

 

タワレコ限定でリリースされたMUROのミックスCD『KING OF DIGGIN' "DIGGIN' SOLAR"』(OCTAVE)

 

関連盤を紹介。