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ディスコに見い出した活路

 プライヴェート・ストック時代は、当時ディスコにアプローチし始めたマイケル・ゼイガーとの蜜月期と言っていい。77年のセルフ・タイトル作では、ジェイナスでのアルバム同様、ゴスペルの出自を顕にしながらポップスやソウルの名曲をカヴァー。続く『Think It Over』(78年)ではシシー本人もペンを交えたオリジナル曲がメインとなり、ロブ・マウンジー(キーボード)やアラン・シュワルツバーグ(ドラムス)といったマイケル・ゼイガー・バンドの演奏陣とディスコにチャレンジする。この頃はゴスペルにルーツを持つパワフルな女性シンガーたちがこぞってディスコに挑んだが、シシーもそこに活路を見い出したのだ。同時にマイケル・ゼイガー・バンドのアルバムにもコーラスで参加し、78年作『Life’s A Party』では、表題曲をリードで歌う当時14歳の娘ホイットニーをバック・ヴォーカリストとしてサポートしていた。

 ゼイガーとの関係は彼がコロムビアに移籍してからも続き、同社では『Think It Over』から4曲を抜粋したミニ・アルバム『Warning-Danger』に続いて、80年に『Step Aside For A Lady』を発表。同時にNYのレコーディング・セッションにおけるファーストコールのシンガーとしてもルーサー・ヴァンドロスたちと並んで重用され、ふたたび〈名作の影にこの人あり〉といった存在感を示していく。ホイットニーのセカンド・アルバム(87年)で“I Know Him So Well”のデュエット相手を務めたのは、その後のことだ。

 振り返るとシシーは、バック・シンガーとしての活動を軸としながら、その合間にソロ作を出してきたという印象が強い。だが、本人としては教会出身者らしい奉仕の精神で他人をバックアップすることに喜びを感じていたようにも見える。チャック・ジャクソンとの共演盤(92年)を経てゴスペル・アルバムを出し、ホームのニュー・ホープ・バプティスト・チャーチではユース・クワイアを牽引。現在は聖職者のイメージも強いが、そのキャリアを追えば、聖と俗を行き交い、その壁を早い段階で取っ払った革命的なゴスペル/ソウル・シンガーであったことに気づくはずだ。 *林 剛

シシー・ヒューストンの参加した作品を一部紹介。
左から、アレサ・フランクリンの68年作『Lady Soul』、ロバータ・フラックの71年作『Quiet Fire』(共にAtlantic)、ダニー・ハサウェイの71年作『Donny Hathaway』(Atco)

左から、チャカ・カーンの80年作『Naughty』(Warner Nros.)、ルーサー・ヴァンドロスの81年作『Never Too Much』(Epic)、ディオンヌ・ワーウィックの83年作『How Many Times Can We Say Goodbye』(Arista)

左から、2007年のサントラ『Daddy’s Little Girls』(Atlantic)、アレサ・フランクリンの2014年作『Sings The Great Diva Classics』(RCA)、エルヴィス・プレスリーの2018年作『Where No One Stands Alone』(Legacy)