希望と苦闘の中にあった19世紀多弦ギター音楽を聴く
耳涼し。そんな季語があるのなら、俳句のひとつやふたつ、ここに集められた曲たちを聴きつつ、ひねり出したくなった。ギタリスト・鈴木大介の新アルバム『浪漫の薫り』のことである。
そのタイトルから想像されるようにロマン派時代のクラシカル・ギター曲をソロで演奏・収録した作品集だが、まず楽器がちょっと変わっている。現代のギター作りの名工・今井勇一が作った〈8弦ギター〉を使い、19世紀の名手たち――このアルバムに収録されたオリジナル曲ではメルツ、コストのふたり――が操ったという〈多弦ギター〉による作品を録音した。
鈴木が書くには〈他にもカルリ、レゴンディ、レニャーニなど多くの多弦ギタリストが活躍したロマン派のギター音楽には得難い魅力と未だに明かされぬ謎が息づいている〉そうだ。おそらく発展し始めた市民社会に合わせ、コンサートの形態や求められる音響、そして愛される音楽が素早く変化していた19世紀半ば、多くのギタリストが〈多弦化〉によってその変化の荒波を乗り越えようとしたらしい。しかし、そうした苦闘は〈夢見た姿を得られぬうちに、幻の志も半ばで〉潰えてしまった。しかし〈もし当時より優れた多弦ギターがあったなら〉と、鈴木は歴史の闇に〈if〉という灯りをともす。
結果として、ショパンへの憧憬を詰め込んだボブロヴィッツ、同じくシューベルト作品を編曲したアレクサンドロフに加え、先ほどあげたメルツ、コストのオリジナル曲、さらには鈴木自身が編曲したシューベルト“音楽に寄せて”D.547、メンデルスゾーンの“ヴェネツィアの舟歌第1、2番”が素晴らしいアソートとなった。
鈴木編曲の“音楽に寄せて”の淡く儚い色彩の諧調にまず引き込まれ、ボブロヴィッツ編曲のショパン“マズルカ”にピアノでは表現できないノスタルジアのゆらぎのような明暗を聴き、さらにコスト“ジュラの思い出”とメルツ“無言歌”など多弦ギターのオリジナル曲では、その可能性の一端を聴く。過去への旅ではなく、鈴木自身がいま夢見るギターの未来への旅。その複数の時間軸の交差のなかで、逃げ水のように立ち現れる19世紀音楽には、作曲家自身が夢見たかもしれないイマージュも垣間見えて来る。
まさに処暑の日に発売されるこのアルバム。猛暑だからこそ聴くべき1枚だ。修行僧の安居(あんご)のように閉じこもり、公案を目の前に置き、やって来ない悟りを待つように聴くのも面白い。
LIVE INFORMATION
立待ち月の序破急
2023年10月1日(日)東京・下北沢 東京都民教会
開場/開演:15:30/16:00
出演:高本一郎(リュート)/鈴木大介(ギター)
お問い合わせ:BIGTORY(bigtory@mba.ocn.ne.jp)