タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/
つねにリスナー視点を大切にした語り口とユーモラスな発想をもっと多くの人に知ってもらいたい、読んでもらいたい! ということで始まったのが、連載〈パノラマ音楽奇談〉です。第7回はネオアコの名盤、アズテック・カメラの『High Land, Hard Rain』(83年)について綴ってもらいました。 *Mikiki編集部
『High Land, Hard Rain』は、リスナー人生においても重要な一枚
前回のビーチ・ボーイズ記事は編集部の担当から「直球の評論ですね」という感想を貰ったのだけど、評論まではいかずともちょっと長めのレビューにしようという意図はたしかにありました。この連載にはとくに決まり事はないんですが、できる限り〈読み物〉として軽く楽しめる内容にしたいというのはスタート当初から考えていたことでもあります。それゆえ基本的には気楽なエッセイというスタンスで臨みつつ、今後も文章としての面白味があればレビューやインタビュー、対談、クイズ、人生相談なども交えていこうかなと思っています。後半は嘘ですけど。さて、今回は通常運転(エッセイ)でいきましょう。
今回取り上げるのは、83年にアズテック・カメラが発表したデビューアルバム『High Land, Hard Rain』です。リリース40周年を勝手に祝いたいという理由もありますが、我がリスナー人生においてもエポックメイキングな作品なので、早めに触れておきたいという気持ちもありました。
この連載でも何度か書きましたが、中学時代に50’sのロックンロール/ポップスと接したことで洋楽に目覚めた僕は、高校一年生になるとブリティッシュビート、二年ではクリームやジミヘン、三年生に上がったころにはハードロックやウエストコーストロックなどを好んで聴いていました。この遍歴は50年代から70年代にかけてのロックの歴史をそのまま順繰りに追体験していたようなもので、80年代後半の高校生としてはかなり珍奇なアプローチをしていたと我ながら思います。なにしろレッド・ツェッペリンを聴いて〈このサウンドは新しすぎてよくわからん〉と本気で思っていたのだからトホホという以外ありません。ちなみにラモーンズやセックス・ピストルズはなんだかんだでシンプルなロックンロールだったので、ツェッペリンよりもとっつき易かったことは憶えています。
周りで洋楽をレクチャーしてくれる人がほぼ皆無だったためにおかしな聴き方をしていたわけですが、リアルタイム世代では全然ないくせに当時のリスナーと同じ感覚でロックヒストリーを体験できたというのは、いま思えば幸せなことだったようにも思います。
ニューウェーブ未体験、オールドロック好きの壁を破ったサウンド
高三でパンクまでは辿り着いたものの、その先のニューウェーブに関しては全然聴いていないどころか、〈それまでのロックとはまるで違う、デジタルで無味乾燥な音楽〉という無知ゆえの勘違いによって敬遠しているような有様でした。そんな偏狭的リスナーのまま僕は東京の大学に進学して、ひょんなはずみでラジオの模擬番組を制作するサークルに参加することになりました。ところがそこにはそれまで出会ったことのなかった、やたらと洋楽に詳しい先輩や同期が何人もいたのです。
夏休みが明けたころ、とりわけ趣味嗜好の近かった友人が「たぶんおまえも好きだと思うよ」と薦めてくれたのがアズテック・カメラの『High Land, Hard Rain』でした。変なバンド名とよくわからない抽象的なジャケットに未知の80’sオーラを感じて多少ひるんだものの、一聴しただけで本当にもうコロッと魅了されてしまったことに自分でも驚きました。
鮮烈なアコースティックギターの響きと、歌心に溢れたメロディー。それは僕が好きだった60年代のフォークロックやポップスにも通じるようなサウンドでした。83年作なので世代的にはポストパンク~ニューウェーブであるはずのこのアルバムからは、自分が勝手に思い込んでいたようなオールドロックとの音楽的断絶をまったく感じなかったのです。つまり僕はアズテック・カメラによってようやくニューウェーブの厚い壁をブレイクスルーし、そのまま一気にリアルタイムのロックにも触れていくことになるのでした。
アズテック・カメラは弱冠16歳の少年=ロディ・フレイムが80年にスコットランドで結成したバンドです。翌年、グラスゴーの弱小(いまでは伝説的な)インディーレーベル、ポストカードよりデビューを飾ってシングル2枚をリリースしたのち、83年にラフ・トレードへと移籍。そこでリリースされたファーストアルバムが『High Land, Hard Rain』でした。