Page 2 / 2 1ページ目から読む

同時代の洋楽のトレンドを取り入れたおニャン子ナンバー

再びおニャン子に話を戻そう。彼女たちの音楽にモータウンの香りが漂っているのは、ようは同時代の英米のトレンドを取り入れたからに他ならない。もっとも、モータウンを新たに解釈したリバイバル曲からの影響をさらに日本のアイドルソングへと翻案したわけだから、当然ながらオリジナルとは似ているようで非なる音楽が出来上がる。おニャン子とモータウンの音楽が繋がる印象がなんとなく薄いのは、ワンクッションを挟んだその距離感ゆえだろう。まぁ考えようによっては正しいポストモダンの有り方なのかもしれないけれど。

さて、“セーラー服を脱がさないで”以降の楽曲についてだが、なんとセカンドシングル“およしになってねTEACHER”(1985年)、そしてサードシングル“じゃあね”(1986年)と、まさかの3連発でモータウン味の強いサウンドを展開している。“じゃあね”のベースが妙に躍動的なのはモータウンの専属ベーシストだった名手、ジェームス・ジェマーソンへのオマージュにも思えるが、単に深読みしすぎなだけかもしれない。

おニャン子クラブ 『およしになってねTEACHER』 ポニーキャニオン(1985)

おニャン子クラブ 『じゃあね』 ポニーキャニオン(1985)

またシングル以外では、デビューアルバム『KICK OFF』(1985年)収録の“真赤な自転車”、セカンドアルバム『夢カタログ』(1986年)収録の“アンブレラ・エンジェル”と、ともにファン人気の高い2曲もモータウンビートを意識している。ちなみに後者はUKの60sリバイバルブームを牽引したマリ・ウィルソンの“Beware Boyfriend”(1982年)にインスパイアされているように思える。

そして個人的なモータウン風おニャン子ソングのツートップは、サードアルバム『PANIC THE WORLD』(1986年)収録の“避暑地の森の天使たち”と“国道渋滞8km”だ。前者は軽妙なコード進行と駆け引きめいたボーカルの掛け合いが冴える好曲で、80sアイドル歌謡としても第一級。

後者は、これまたマリ・ウィルソンの“Ecstacy”を華麗に換骨奪胎したアップチューンで、いかに同時代の洋楽を意識した曲作りをしていたのかが如実に表れた好例だろう。

注目したいのは2曲とも山川恵津子が作曲とアレンジを担当していること。彼女は1980年代を代表する作曲・編曲家の一人で、「編曲の美学 アレンジャー山川恵津子とアイドルソングの時代」という書籍も昨年出版されて再評価著しい人物でもある。シティポップファンには伝説のユニット、東北新幹線のメンバーとしても知られているだろう。

 

おニャン子クラブの楽曲は作り手が奔放なアイデアを試せる場

グループの全盛期(1985~1986年)の編曲は山川に加え、佐藤準、 後藤次利 、見岳章の4人が主に担当しているが、このような優れたアレンジャーたちが参加していたことがおニャン子の音楽面における最大の強味だったといえる。また彼らにとってもおニャン子の楽曲は、洋楽のギミックを日本のポップスに巧みに取り入れるためのラボのようなものだったのだろう。

もちろんそれ以前のアイドルソングにも同様の側面はあったと思うが、おニャン子メンバーは素人の高校生が中心のため歌い手としてのエゴは希薄だったろうし、良い意味で没個性的でもあった。作り手にとっては他では試せない奔放なアイデアも実践できる相手だったに違いない。それゆえ、おニャン子関連の楽曲はモータウンのほかにも、シティポップやディスコ、テクノポップ、フィル・スペクターなど幾多の切り口からアプローチすることが可能なのである。

書いてきた文章を読み返してみて気付いたが、秋元康やその詞について全く言及していないのはともかく、メンバーの誰一人の名前すら出てきていないではないか。まぁときにはこんな記事があってもいいのではないかと開き直りつつ、僕は会員番号25番のあのコが好きだったことだけは最後に告白しておきたい。

 


PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。