黒人社会の暗さを映す東西抗争と2パック、O・J・シンプソン事件
一方、黒人社会の暗い面を象徴するような話題も多かった。私はこの年の3月にニューヨークに引っ越した。着いてすぐ、イージー・Eが亡くなり、この間まで活躍していたアーティストが死ぬという現実に、驚いた。彼が遺したレーベル、ルースレス・レコーズからラップとハーモニーを合わせたボーン・サグズン・ハーモニーがバカ売れ。生活保障の小切手が届く月初めを心待ちにする現実を曲にした“1st Of Tha Month”と、師匠のイージー・Eに捧げた“The Crossroads”はMTVなど音楽系ケーブル局でヘビーローテーションに。
8月3日にニューヨークで開催された雑誌の「ソース」による〈1995ソース・アワード〉では地域ごとの緊張感が露呈した。まず、アウトキャストのアンドレ(3000)が客席からのブーイングを受けて、受賞スピーチで「サウスだって伝えたいことはあるんだ」と言い切った。さらに、デス・ロウ・レコーズのシュグ・ナイトが「自身がアーティスト、スターのままでいたい奴……エグゼクティブプロデューサーが自分のMVや曲にしゃしゃり出て踊るのが嫌な奴はデス・ロウに来たらいい」と、バッド・ボーイ・レコーズのショーン“パフィ”コムズを当てこすったのだ。ビギーと2パックを巻き込んだ、東西抗争が表面化した瞬間だった。
その2パックは3月に3作目『Me Against The World』をリリースしていた。カテゴリーとしてはギャングスタラップではあるものの、イージー・モービーからソウルショック・カーリーン、デジタル・アンダーグラウンドのショック・Gらが手がけたトラックは特定の地域のカラーはまとっていなかった。“So Many Tears”や”Dear Mama”など黒人社会の生きづらさに焦点を当てた、コンシャスラップの色合いも強い名盤であり、翌年に創設されたグラミー賞の最優秀ラップアルバム部門を制している。だが、94年の秋にクアッド・スタジオで銃撃されたあと、レイプ容疑で投獄されていた2パックは獄中でデス・ロウ・レコーズと契約した。デビュー時から彼のリリシズムとカリスマ性が大好きだった筆者を含めたファンは、どんどんサグ(ちんぴら)化していくパックに戸惑った年でもあったのだ。
この年の一番大きなニュースは、NFLのスター、O・J・シンプソンが白人の妻を殺害した容疑である。弁護団が人種問題に論点をすり替えたために、世論が人種ごとに真っ二つに割れる展開に。〈アメリカ人〉とひと括りにできない歪みの根深さを、目の当たりにした。ヒップホップはそういった世相をもダイレクトに反映する音楽であり、今日でもこの音楽の土台になっているのだ。
