シティポップ、ボカロ(ボーカロイド)、R&B、レゲエ……。よく耳にするあの音楽ジャンル名って、実際はどんな音楽を指しているの? そんな疑問に答え、音楽を一歩踏み込んで知ってもらうため、タワーレコードの音楽ガイドメディアMikikiが新連載〈音楽ジャンル再入門〉をスタートさせました。

第5回は、初心者でもわかるヒップホップ入門。ヒップホップの歴史や専門用語、魅力、人気の理由、代表的なサブジャンルや名曲などをしっかりと紹介。これを読めば、音楽を聴くことがもっと楽しくなるはず!

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ヒップホップとは?

ヒップホップとは1970年代に米ニューヨーク、ブロンクスのストリートでアフリカ系アメリカ人やプエルトリコなどラテン系の若者たちから生まれた音楽、ダンス、アートを中心としたカルチャーのこと。

そのルーツとなったのは、公園や路上に音響機材を持ち込んで開かれた〈ブロックパーティー〉だ。ブロンクスの若者たちが野外に集い、音楽やダンスを繰り広げたこの熱気あふれるパーティーは、単なる娯楽としてだけでなく、人種差別や経済的困窮など苦しい現実に直面していた彼らがそれを社会へ力強く表現する場でもあった。

そのパーティーでDJたちがリズムの基礎を作り上げ、自身の思いやメッセージを言葉にしてリズミカルに伝えるラップや壁などに描くアート、ダンス、ファッションなど独自の文化が育まれ、いまでは国境を越え、ヒップホップは世界中で大きな人気を博している。

ヒップホップの4大要素とは?

ヒップホップを象徴するのが〈4大要素〉と呼ばれるものだ。〈4大要素〉は、レコードの特定のパートを反復させてブレイクビーツと呼ばれる音の土台を作る〈DJ〉、そのビートに乗せて韻を踏みながら自身の生き様やメッセージを鋭い言葉で放つ〈MC(ラップ)〉、音楽に合わせてダイナミックなアクロバットやステップを展開し、アクロバティックな動きによって魅せる〈ブレイキン/ブレイクダンス〉、そしてスプレー缶などで街の壁面や電車に自己主張を描き込む〈グラフィティ(アート)〉からなる。

これら4つは互いに強く結びつき、高め合いながら発展してきた。貧困や暴力、ドラッグの蔓延に晒された若者たちが暴力的な抗争を避け、銃や拳の代わりに自らの才能と表現力で優劣を競い合い、己の存在を世界に示すための武器になった。

ヒップホップとラップの違い

ヒップホップとラップは混同されやすいが、言葉が指し示す範囲が異なる。ヒップホップは音楽、ダンス、アート、思想などを含んだカルチャー全般の総称だ。一方、ラップはその文化を構成する要素の一つであり、ビートに合わせて言葉をリズミカルに発声する歌唱法・表現技法のこと。つまり、ラップはヒップホップという広大な文化のなかに存在する、音楽的な表現手段を指している。

サンプリングとは?

ヒップホップのバッキングトラックにおいてサンプリングは重要な要素だ。過去の既存曲などの一部(ドラムや楽器のフレーズ・メロディ、ボーカルetc.)を抜き出し、つなぎ直して新たに再構築する手法がサンプリングである。

後述するクール・ハークが有名だが、ヒップホップの発祥期にDJはレコードのドラムソロ部分をターンテーブルで反復再生した。その後、サンプラーと呼ばれる電子楽器(AKAI MPCシリーズが有名)によってソウルやファンク、ジャズなどの曲の一部を切り貼りし、独自のセンスで原曲とはまったく異なる新しい音楽を作り出す手法が定着。のちには著作権侵害が問題になり、〈サンプリングクリアランス〉という権利者に許諾を得る手続きが必須になった。

ビーフとは?

ヒップホップ名物と言える〈ビーフ〉とは、ラッパー同士が楽曲を通して罵り合う対立や抗争のこと。互いのスキルや主張をぶつけ合い、相手をディスり(貶し)、勝敗を競う文化として定着してきた。

もともとはアーティスト間のプライドの衝突や主導権争いから生まれたものだが、時にシーン全体を巻き込む大きな話題を生み出している。単なる泥仕合ではなく知性と韻の技術を駆使して相手を圧倒する、ヒップホップ特有のスリリングなエンターテインメントでもあるのがビーフだ。

有名なものではジェイ・Z vs. ナズ(2001年)、近年はケンドリック・ラマー vs. ドレイク(2024年)が大規模なビーフを繰り広げた。日本では舐達麻 vs. BAD HOP(2023年)の諍いも記憶に新しい。

ヒップホップのファッションへの影響

ヒップホップは音楽の枠を超え、世界的なファッションシーンに絶大な影響を与えつづけている。1980年代にはヒップホップグループ、RUN-D.M.C.がシューレースなしで履いたアディダスのスニーカーが大流行したほか、トラックスーツ(ジャージ)やオーバーサイズの服、貴金属の大ぶりのチェーンなどを合わせた着こなしはストリートウェアという新たなスタイリングのジャンルを築き上げた。その後、バケットハットやキャップ、大ぶりなダイヤモンドジュエリーや高級時計、スキニージーンズなどトレンドアイテムは時代の変遷とともに変化している。

RUN-D.M.C.は“My Adidas”をヒットさせたことでアディダスとスポンサー契約を結んだ。さらに2000年代以降、ストリート系のラグジュアリー化も進んだ。カニエ・ウェスト(現Ye)やファレル・ウィリアムス、エイサップ・ロッキーらがラグジュアリーブランドやスポーツブランドと密接に結びつき、ディレクターを務めるなどアーティスト自らがトレンドを生み出し、現代のファッションにおけるトレンドの牽引役になっている。

 

ヒップホップの歴史と種類やサブジャンル

ここからは、ストリートの片隅で生まれたヒップホップがいかにして世界を揺るがす巨大なカルチャーへと成長を遂げたのか、その歩みを紐解いていく。誕生の背景から変遷、そして新たなムーブメントの波まで、ヒップホップが辿った熱狂と進化の歴史を追っていこう。

ヒップホップが生まれたきっかけ

ヒップホップ誕生のきっかけは、1973年8月11日、ニューヨークのサウス・ブロンクスで開催されたブロックパーティーに遡るのが定説だ(2023年に〈ヒップホップ50周年〉が祝われたことは記憶に新しい)。DJクール・ハークと妹のシンディ・キャンベルが開催したこの野外パーティーで、音楽の新たな扉が開かれた。

ハークは、曲中のドラムやベースが際立つ〈ブレイク〉と呼ばれるパートに観客がもっとも熱狂することに着目。2枚の同じレコードを交互に再生し、ブレイク部分だけを途切れることなくループさせる革新的な手法を生み出した。貧困やギャングの暴力が蔓延していた街で、この熱烈なビートは若者たちを魅了。踊り明かす場として生まれたストリートの集いは、やがて若者たちのエネルギーを暴力から表現へと変換させ、新たなカルチャーを生み出していった。

ヒップホップを作った3人の主要人物

ヒップホップの〈3大創始者〉と呼ばれるのが、クール・ハーク、アフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュだ。

クール・ハークは2枚のレコードでブレイクパートをループさせる手法を発明し、ヒップホップの音的・空間的土台を生み出した最重要人物。

そんなクール・ハークのDJスタイルに強い影響を受けたグランドマスター・フラッシュは、ターンテーブルに置いたレコードを擦り、効果音を出すテクニック〈スクラッチ〉を世の中に広く浸透させた。

また、アフリカ・バンバータはヒップホップ団体〈ユニバーサル・ズールー・ネイション〉を設立し、暴力に明け暮れる若者を音楽やダンスに導き、ヒップホップという言葉や4大要素の理念を定義したことで知られる。

黎明期に影響力を持った3人の情熱とアイデアが重なり合い、ヒップホップは単なる街角のパーティーから世界的カルチャーへと昇華されたのだ。

オールドスクールヒップホップ(1979~1983年頃)

オールドスクールヒップホップは、1970年代のブロンクスで育まれたストリートのパーティー文化がレコードを通じて広く普及した黎明期にあたる。

1979年、シュガーヒル・ギャングの“Rapper’s Delight”がラップの商業的な可能性を大きく切り開いた。また、カーティス・ブロウ“The Breaks”(1980年)もヒット、ヒップホップやラップは米国で存在感を放ち、世界にも飛び火していく。

初期はファンクやディスコの影響を受けたダンサブルなパーティーソングが中心だったが、1982年にグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴが発表した“The Message”は都市部の貧困や社会問題を生々しく描き、ラップが社会の現実を伝える表現手段となる可能性を示した。

ストリート発の文化が音楽市場へと広がり、娯楽性と社会的メッセージの両面で発展した重要な時代である。

ニュースクールヒップホップ(1984~1997年頃)

1984年頃から始まったニュースクールは、ヒップホップがロックや多種多様な音楽と融合し、大衆音楽へと飛躍した革新の時代だ。

RUN-D.M.C.や、新興レーベルのデフ・ジャムからLL・クール・Jやビースティ・ボーイズらが台頭。プロデューサーのリック・ルービンによって重厚なドラムマシーンのビートと激しいギターサウンドが取り入れられ、ソリッドなスタイルを確立させた。

さらに、パブリック・エネミーによる強い政治的・思想的メッセージや黒人の誇り・団結の訴え、スリック・リックのオルターエゴ(人格)の使い分けや物語を描くストーリーテリング、ラキムの技巧的なラップとリリシズム、ア・トライブ・コールド・クエストらに代表されるネイティヴ・タン一派によるジャズサンプリングなど表現の幅は飛躍的に拡大。従来の枠組みを打ち破り、現代へ続くヒップホップの黄金基盤が築かれた時代だ。

ゴールデンエイジヒップホップとは?

ゴールデンエイジとは、ヒップホップの芸術性と商業的成功が極まった1980年代後半から1990年代なかばの全盛期のこと。

この時代は、前述したラキムによる高度なライミング(韻を踏むこと)技術の発展や、パブリック・エネミーのメッセージ性による表現力が飛躍した。また、サンプリング技術の発達に伴い、東海岸のナズやウータン・クランらが重厚なサウンドを築いた。

一方、西海岸ではドクター・ドレーやスヌープ・ドッグらがファンクを現代的に再構築した〈Gファンク〉を確立させた。地域ごとの多彩なスタイルと極めて高いクオリティが花開いた、のちのヒップホップの基盤になった時代である。

ミドルスクールヒップホップとは?

日本ではオールドスクールとニュースクールの中間、1980年代後半から1990年代初頭を〈ミドルスクール〉と分類することもある。ヒップホップの音楽性と表現技法が大きく進化し、革新的な試みが相次いだことでヒップホップが多様な表現と芸術性の高まりを獲得した時期を指す。

ギャングスタラップとは?

ギャングスタラップは1980年代半ばに登場し、後半から西海岸を中心に隆盛したヒップホップのサブジャンル。

スクーリー・Dやアイス-Tが先駆けとなり、N.W.Aが1988年のアルバム『Straight Outta Compton』でその名を大きく広めた。犯罪や暴力、警察との対立に加え、貧困や人種差別など都市社会の過酷な現実を描き、社会的な批判を浴びながらも多くの若者の支持を集めた。1990年代には2パックやスヌープ・ドッグらが活躍し、ヒップホップの主要な潮流のひとつとなった。

青色のアイテムを纏うクリップスと赤色のブラッズというロサンゼルスの2大ストリートギャングをはじめ、実在のギャング抗争を背景に持つものも多い。また、露骨な性的描写や過激な言葉づかいなど、卑猥な表現も少なくないのが特徴だ。

1990年代のヒップホップ(東海岸)

1990年代、東海岸のヒップホップシーンはニューヨークを中心に大きく発展し、黄金期を迎えた。

ジャズやソウルの曲をサンプリングした重厚なビート、緻密なライムと巧みな言葉遊び、ストリートの過酷な現実や社会問題を生々しく描いたリリック(歌詞)などを特徴として、ナズ、ウータン・クラン、ザ・ノトーリアス・B.I.G.、モブ・ディープらがシーンを席巻していった。また、DJプレミアやピート・ロックらの活躍によって力強いキックと鋭いスネアを基調とする、〈ブーンバップ〉と呼ばれるビートスタイルも広く浸透した。

この時期の東海岸では、メッセージ性の強いコンシャスヒップホップからMCハマーら商業的成功を収めたポップラップまで多様性も極まった。一方、表現の激化やハードコアヒップホップの急進化も進んだ。

1990年代のヒップホップ(西海岸)

ウエストコーストヒップホップはロサンゼルスを起点に、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、2パック、アイス・キューブといった面々が台頭していった。

サウンド面の特徴としては、ファンクやソウルの曲をサンプリングした太いベースライン、シンセサイザーが弾くメロディアスなサウンド、ミディアムやスローに近いゆったりとリラックスしたグルーヴなどが挙げられる。特にGファンクと呼ばれる音楽スタイルは、西海岸のヒップホップシーンを象徴するサウンドとして根づいていく。

1990年代前半にはN.W.Aの成功を追い風にギャングスタラップが流行。多くのアーティストが活躍し、名盤の数々を生んだ。

Gファンクとは?

Gファンクとは、1990年代初頭にアメリカ西海岸で発展したヒップホップスタイルのひとつ。

ジョージ・クリントン率いるパーラメントやファンカデリックなどのPファンクから強い影響を受け、うねるベースライン、サンプリングやドラムマシーンを用いたタイトで跳ねるビート、シンセによるハイトーンのメロディ演奏や生楽器の多用などを特徴とする。ドクター・ドレーのソロ1stアルバム『The Chronic』は、このスタイルの代表的な作品として知られている。

東西抗争とは?

東西抗争は、1990年代半ばにアメリカのヒップホップシーンで激化した、東海岸と西海岸のアーティストやレーベル間の対立のこと。

ビギーことザ・ノトーリアス・B.I.G.が所属する東海岸のバッド・ボーイ、2パックを擁する西海岸のデス・ロウという2つのレーベルを中心に、激しいビーフやメディアを通じた争いが激化していった。1996年に2パック、1997年にビギーが相次いで銃撃により命を落とし、ヒップホップ史に暗い影を落とすことになった。

2パックの死後に西海岸の勢いは鈍化、パフ・ダディのポップなヒップホップソングが成功したことで踊りやすくクラブ向けのパーティラップにトレンドは移っていく。

サザンヒップホップとは?

サザンヒップホップ(日本では〈サウスヒップホップ〉とも言う)は、米南部を中心に発展したヒップホップの総称。ジョージア州アトランタ、テキサス州ヒューストン、ルイジアナ州ニューオーリンズなどを拠点に、重低音を強調したビート、ファンクやソウルの影響を受けたグルーヴ、さらにその地域独自の言葉遣いやリズム感を特徴としている。

1980年代には下ネタを得意とし、マイアミベースの中心的存在だったフロリダ州の2ライヴ・クルーが注目を集めた。1990年代にはアウトキャスト(アトランタ)、UGK(テキサス州ポートアーサー)、ゲトー・ボーイズ(ヒューストン)、スリー・6・マフィア(テネシー州メンフィス)らが活躍、独自の音楽性を確立した。

2000年代から2010年代にかけ、クランクから派生してトラップと呼ばれるスタイルが台頭。2チェインズ、リック・ロス、フューチャー、ミーゴス、トラヴィス・スコットといったメガスターがヒットを放ち、それまで東西を中心にしていたヒップホップの主流で南部が力を持つようになる。

2000年代のヒップホップ

音楽性の多様化と商業的な成功によって、ヒップホップシーンはその存在感を飛躍的に高めていった。

たとえば、ジェイ・Z、エミネム、50セントらは世界的な人気を獲得。一方でカニエ・ウェストが独自のサンプリングセンスや独創的な音作りによって新たな潮流を生み出していった。

また、前項で述べたようにアトランタを中心とする南部シーンが勢力を拡大、T.I.、ヤング・ジージー(現ジージー)、リル・ジョンらがトラップやクランクといった独自のスタイルを武器に大きなムーブメントを巻き起こし、アウトキャストがビッグヒットを生んだ。そして、ザ・ネプチューンズ(ファレル・ウイリアムス&チャド・ヒューゴ)やティンバランドらの斬新で未来的なビートもこの時代のサウンドを形作った。

〈ブリンブリン〉と呼ばれる派手で華美な宝飾を自慢するスタイルも定着したこの時期。R&Bやポップシンガーが曲のフック(サビ)を歌うなど、ほかのシーンとの融合や商業化も進み、ヒップホップはアメリカ国内にとどまらず世界のポピュラー音楽の中心を担うジャンルになった。

2010年代のヒップホップ

2000年代後半からヒップホップCDの売上が急落、違法なファイル共有やダウンロードの打撃を受けた。その一方、ブログ、MySpace、SoundCloud、YouTube、フリーダウンロードのミックステープといったインターネットツールを活用しはじめたのもこの時代だ。

2010年代のシーンは、ストリーミング/サブスクリプションサービスやSNSの普及を背景に、音楽の届け方から視聴環境までが大きな変化を遂げた。ケンドリック・ラマーやJ. コールは社会問題や自身の繊細な内面を深く掘り下げたリリックで評価を集め、ドレイクはメロディアスなラップとR&Bを自在に行き来するスタイルで絶大な支持を獲得した。

他方、アトランタを中心にトラップが隆盛を極め、フューチャー、ミーゴス、ヤング・サグらがTR-808(ローランドのドラムマシーン)の音やオートチューン(歌声や楽器の音程を補正するソフトウェア)を駆使したサウンドでヒット曲を量産。さらに、XXXテンタシオンら新世代のラッパーがSoundCloudを通じて次々と登場するなど、それまでの枠組みに囚われない表現が続々と生まれた。加えて、ニッキー・ミナージュやカーディ・Bら女性ラッパーの台頭も大きなファクターだ。

現代(2020年代以降)のヒップホップ

2010年代後半から2020年代にかけ、コロナ禍を挟んだこの時期、TikTokやInstagramなどのSNSがヒップホップの〈現場〉になった。ダンスチャレンジ(踊ってみた)系やショート動画での楽曲の使用を軸に、多くのヒップホップソングがバイラルヒットしている。2019年に大ヒットしたカントリー調のリル・ナズ・X“Old Town Road”やポップなドージャ・キャット“Say So”などがその代表だ。

2010年代末から2020年にかけては、ポップ・スモーク(2020年に殺害された)の成功によりブルックリンドリルと呼ばれるダークで暴力的なスタイルが流行。2022年頃からはニュージャージー州ニューアーク発のダンスミュージック、ジャージークラブのビート(特徴的な5発のキック(バスドラム)が有名)が流行った。

その後は、プレイボーイ・カーティのサウンドから影響を受けた、レイジと呼ばれる歪んだ電子音を特徴とするサブジャンルが盛り上がった。また、先に書いた2024年のケンドリック・ラマー vs. ドレイクのビーフはヒップホップ界全体を巻き込んだ大騒動になった。

 

ヒップホップはなぜ人気があるのか?

そんなヒップホップが人気である理由のひとつは、圧倒的な自由度の高さと自己表現力にあるだろう。

ライミングやリズムに乗せるという基本的なルールのもと、自身の生い立ちや葛藤、願望、思想、あるいは物語をリアルな言葉で語ることができるのが、ヒップホップという音楽だ。言葉の力を用いたヒップホップ/ラップという形式は、誰もが共感できて参加も容易。だからこそ、国境や言語、人種を超えてここ日本にも根づき、世界各地でローカルな発展を遂げている。

また、これまでに述べたとおり、ヒップホップは音楽にとどまらない総合的なカルチャーであり、ライフスタイルでもある点が強みだ。トレンドを牽引する独自のファッション、ブレイキンのようなダンスなど、ヒップホップカルチャーが内包する豊かさは世界的な影響力を持った。既存の音楽から要素を再構築するサンプリングは画期的な音楽の制作方法としてすっかり定着、音楽界に革新をもたらした。

若者やマイノリティの反骨精神、あるいは〈楽しみたい〉というパーティーの喜びから生まれたヒップホップは、リアルなストーリー性を伴いながら常に時代の最先端でありつづけている。

 

ヒップホップの名曲・人気曲20選

ここからは、ヒップホップ史に刻まれた名曲・人気曲を20曲選んで解説。実際のナンバーを聴いて、ヒップホップという刺激的な文化のおもしろさや楽しさを体感しよう。

The Sugarhill Gang “Rapper’s Delight”(1979年)

〈商業的に初めて成功を収めたラップミュージック〉と言われている代表曲にして歴史的な重要曲。シック“Good Times”のベースラインなどをサンプリングし、ユーモアたっぷりのラップを披露した記念碑的なナンバーだ。オリジナル版は約14分もの長尺で、1980年にはラップの楽曲として初めて全米チャートでトップ40入りを果たすという快挙を成し遂げた。

ちなみに、彼ら3人はプロデューサーのシルヴィア・ロビンソンによって集められたニュージャージー州の若者たちで、“Rapper’s Delight”はブロンクスのヒップホップを商業化しようという目論見で作られた曲だった。リリックはブロンクスのグランドマスター・カズが書いたものを勝手に流用した部分が多く、のちに物議を醸した。

Grandmaster Flash & The Furious Five “The Message”(1982年)

ヒップホップに社会的なメッセージを持ち込んだ歴史的・革新的な曲であり、ヒップホップ史上最高の一曲とも称えられるナンバー。当時パーティー向きの華やかな楽曲が主流だったラップミュージックにおいて、貧困や犯罪、失業、麻薬、警察の暴力といったゲットーの重く過酷な現実をラップに乗せて広く世に発信したコンシャスラップの先駆けである。メリー・メルを中心にしたラップ、なかでもコーラス(サビ)の〈It’s like a jungle sometimes / It makes me wonder how I keep from goin’ under(まるでジャングルだ/どうやって正気を保っていればいいのかわからなくなる)〉という歌詞は有名だ。

この曲が残した功績もあり、グランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴは2007年に〈ロックの殿堂入り〉を果たしている。

Run-D.M.C. feat. Aerosmith “Walk This Way”(1986年)

1975年に発表されたエアロスミスのヒット曲をRUN-D.M.C.が大胆にリメイクし、ヒップホップとロックの垣根を打ち破った名曲。エアロスミスからはジョー・ペリーとスティーヴン・タイラーが参加、両ジャンルの魅力を存分に引き出している。プロデューサー、リック・ルービンのアイデアによってジャンルをクロスオーバーさせただけでなく、ヒップホップをメインストリームへと押し上げた功績もある。日本では「踊る!さんま御殿!!」のエンディングテーマとしても有名。3rdアルバム『Raising Hell』に収録されている。

Eric B. & Rakim “Paid In Full”(1987年)

DJのエリック・Bとラッパーのラキムがコンビを組んで生み出した、ヒップホップ史を語るうえで欠かせない一曲。ザ・ソウル・サーチャーズ“Ashley’s Roachclip”のドラムなどソウルの曲を引用した軽快なリズムと印象的なベースライン、そしてラキムの滑らかでテクニカルなラップが冴えわたっている。この曲と同名の彼らのデビューアルバムもヒップホップ史を代表するマスターピースだ。

イギリスの電子音楽デュオ、コールドカットが制作した名リミックス“Seven Minutes Of Madness”も有名。そちらのヒットも、この曲の重要性を高めた一因だ。

N.W.A “Straight Outta Compton”(1988年)

ギャングスタラップを広く知らしめ、ウエストコーストヒップホップの礎を築いた歴史的な名曲。ロサンゼルス郊外のコンプトンを拠点とする彼らが、ストリートでの過酷な日常や怒りを攻撃的なラップと荒々しいビート(ドクター・ドレーとDJイェラが制作)に乗せて表現した。アイス・キューブ、MCレン、イージー・Eによる迫力満点のマイクリレーも聴きどころだ。

Public Enemy “Fight The Power”(1989年)

スパイク・リー監督の映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」のサントラ用に制作され、名盤『Fear Of A Black Planet』にも収録されたヒップホップアンセム。ジ・アイズレー・ブラザーズなど複数の楽曲をサンプリング、ザ・ボム・スクワッドが制作した激しいトラックに乗せ、白人中心主義的な価値観や人種差別、社会の不平等に対する怒りを直接的に表現した。また、黒人の誇りや文化も力強いラップで訴えている。〈Fight the power(権力と戦え)〉と連呼し、ヒップホップが持つ社会的なメッセージ性を広く知らしめたプロテストソングだ。キング牧師やマルコムXら歴史的偉人の看板が登場するミュージックビデオも必見。

A Tribe Called Quest “Can I Kick It?”(1990年)

ルー・リード“Walk On The Wild Side(ワイルド・サイドを歩け)”のベースラインなどをサンプリングしたジャジーでメロウなトラックと、Qティップとファイフ・ドッグのラップ、コール&レスポンスの掛け合いが光る金字塔的名曲。攻撃的な力強い主張やボースティング(自慢)ではなく、チルで知的なスタイルを提示した点も新しかった(ちなみに、〈Kick it〉は〈リラックスする〉と〈ラップする〉の意味)。デビューアルバム『People’s Instinctive Travels And The Paths Of Rhythm』に収録されており、MVには盟友デ・ラ・ソウルも出演。

Dr. Dre feat. Snoop Doggy Dogg “Nuthin’ But A “G” Thang”(1992年)

1stアルバム『The Chronic』に収録された、90年代西海岸ヒップホップの勢いを決定づけたGファンクの真骨頂。レオン・ヘイウッドのファンクをサンプリングした重低音とシンセの高音の旋律が絶妙に交差している。また、ドレー自身もラップしているが、特にスヌープのスムースなフロウと性的なリリックがレイドバックしたムードを生み出していることが特徴。

MVにはウォーレン・Gら仲間たちが出演、当時のロングビーチの空気感や車文化が映し出されいる。カリフォルニアのストリートカルチャーを世界的なメインストリームへと押し上げた歴史的な曲だ。

Wu-Tang Clan “C.R.E.A.M.”(1993年)

カンフー映画にインスパイアされた独自のスタイルで知られる、RZA率いるスタテンアイランド(ニューヨーク)のヒップホップ集団を象徴する名曲。曲名は〈Cash Rules Everything Around Me〉の頭文字で、金がすべてを支配する過酷なストリートの現実を描いたハードコアヒップホップの傑作である。RZAが手がけた薄汚れたビートは、ピアノのループを中心に切なさと憂鬱さとダークさを演出。メンバーたちのリアルで冷徹なリリックも心に刺さる。90年代東海岸シーンのクラシックとして絶大な影響力を誇る重要曲で、名盤『Enter The Wu-Tang (36 Chambers)』に収録されている。

Nas “N.Y. State Of Mind”(1994年)

ニューヨークの閉塞感やストリートの緊張感をラップの神童ナズが弱冠20歳で描いた歴史的な一曲。冒頭の〈ラップのダンジョンを抜け出してきた/フェイク野郎どもじゃ出られないところだ〉や〈俺は眠らない、眠ることは死の従兄だからな〉といった有名なパンチラインだらけで、現在の耳で聴いても痺れる。DJプレミアによるダークで切迫感のあるトラックに乗せ、巧みな描写力と複雑なフロウ、見事なライミングで都市のリアルな苦悩を吐き出すさまは圧巻だ。ラップスキルの最高峰を示した、デビュー作『Illmatic』を象徴する超重要曲。

The Notorious B.I.G. “Juicy”(1994年)

極貧のストリート生活から成功を掴み取った、アメリカンドリームを謳い上げるビギ-の代表曲。自伝的かつ情感豊かなリリックは、公共住宅で過ごした厳しい幼少期やハスリング(ドラッグを売ってお金を稼ぐこと)のリアルなど彼が体験したブルックリンの現実を描き出している。一方、エムトゥーメイのファンク名曲“Juicy Fruit”を大胆にサンプリングしたキャッチーなサウンド(プロデューサーはパフ・ダディ)はポップな聴き味が魅力的だ。悲劇的な生涯を送った彼が残した、ポジティブなエネルギーに満ちた永遠のアンセムと言えよう。収録作は1stアルバムにして名盤『Ready To Die』。

2Pac feat. Dr. Dre “California Love”(1995年)

1995年に投獄されていた2パックの出所後初シングルであり、当時の西海岸ヒップホップの圧倒的パワーを誇示するメガヒット曲。ドレーがプロデュースした重厚なファンクサウンドとロジャー・トラウトマンのトークボックスの独特な響きが炸裂するサウンドは、まさにGファンク独自のもの。また、2パックが低い声で謳い上げるのは西海岸のプライドだ。LAやコンプトンといった地名を歌い込み、ウエストコーストの誇りを爆発させた、熱量と煌びやかさに満ちたポップなパーティーアンセムの決定的名曲。

Missy Elliott “The Rain (Supa Dupa Fly)”(1997年)

ミッシー・エリオットとティンバランドの黄金タッグがヒップホップ界に革命を起こした衝撃のデビューシングル。アン・ピーブルス“I Can’t Stand The Rain”を独創的に解体した奇抜で怪しげなトラックと、MV(監督はハイプ・ウィリアムス)で膨らんだ黒いビニールスーツやサングラスを纏ったミッシーのビジュアルはシーンに波紋を広げた。ヒップホップやR&B、ポップの枠組みを拡張し、未来的なイメージによって新時代を切り拓いた傑作だ。1stアルバム『Supa Dupa Fly』に収録されている。

Outkast “Ms. Jackson”(2000年)

2000年代ヒップホップを代表する一曲で、傑作『Stankonia』に収録されている。子どもも授かったエリカ・バドゥとの関係性をもとにアンドレ3000が書いたと言われるリリックは、〈ジャクソンさん、申し訳ございません〉〈娘さんを泣かせるつもりはありませんでした〉と元パートナーの母親に向けた謝罪と葛藤を描いている。また、アトランタらしい独創的で粘っこいファンクサウンドには、センチメンタルかつポップな響きがあり聴きやすい。アンドレ&ビッグ・ボーイの卓越した表現力で個人的な人間関係の複雑さをユーモアと切なさで包み込んだこの曲は、グローバルなヒットを記録した。

Eminem “Lose Yourself”(2002年)

映画「8 Mile」の主題歌であり、ヒップホップの曲として初めてアカデミー賞の最優秀オリジナル歌曲賞を受賞した歴史的名曲。緊張感を高めるギターリフが印象的なビートは、エミネムが自らプロデューサーの1人として手がけたもの。貧しく過酷な生い立ちを背景にラップという千載一遇のチャンスに賭け、覚悟を決めていく様子を圧倒的なマシンガンラップで聴かせるスキルは圧巻だ。ヒップホップというジャンルを超えて世界中のリスナーを熱狂させ、いまも人々の背中を押しつづけるクラシックにしてエミネムの最高傑作のひとつ。

Kanye West “Through The Wire”(2003年)

さまざまな騒動を巻き起こしつつ、多くの名曲・名盤を生み、独自のキャリアを歩むラッパー兼プロデューサー、カニエ初期の代表曲のひとつでデビューシングル。曲名は大きな自動車事故を起こし、ワイヤーにより顎を固定された状態でレコーディングしたことに由来している。〈チップマンクソウル〉と呼ばれたカニエ独自のトラックは、早回しでボーカルをサンプリングする革新的なもの。この曲でもチャカ・カーン“Through The Fire”を独特の手法で料理している。天才的なプロデューサーとして名を馳せつつあった彼が、逆境をバネにソロラッパーとしてもスターダムにのし上がる足がかりになった。収録作は1stアルバムにして名盤『The College Dropout』。

Kendrick Lamar “Alright”(2015年)

現代ヒップホップの名盤として評価が定まった3rdアルバム『To Pimp A Butterfly』の収録曲。リリース後、黒人の若者たちを中心に人種差別や警察の暴力へ反対する運動〈ブラックライブズマター〉の現場で合唱されるようになり、文字どおり象徴的なアンセムに成長していった背景を持つ。ケンドリックの個人的な苦難と希望をラップした曲だが黒人社会の苦境が重なり、〈俺たちは大丈夫だ〉と力強く呼びかけるリリックは希望を求める人々の切実な祈りに昇華されたのだ。ファレル&サウンウェイヴが手がけたジャズとファンクとトラップが交差したサウンドも斬新で、リリシズムによって時代精神を完璧に捉えた超重要曲だと言えよう。

2018年、ケンドリックはクラシックとジャズ以外の音楽家としてピューリッツァー音楽賞を初めて受賞した。

Drake feat. Wizkid & Kyla “One Dance”(2016年)

“Hotline Bling”もバズった4thアルバム『Views』に収録されたメガヒットナンバー。ナイジェリアのウィズキッドとイギリスのカイラをフィーチャー、盟友40らが手がけたトラックはアフロビーツやダンスホールレゲエの要素を巧みに取り入れており、ヒップホップを拡張しながらダンスミュージックのトレンド変化を世界的に引き起こした。心地よいリズムとストリーミング時代に最適化されたセンス、そしてドレイクらしいメロウな歌メロが多くの聴き手を惹きつけ、Spotify史上初の10億回再生を記録。彼のグローバルな影響力を確実にした金字塔だ。

Migos feat. Lil Uzi Vert “Bad And Boujee”(2016年)

アトランタのトラップは2010年代なかば以降、ヒップホップを超えてポップシーンの標準になった発明的なスタイル。その流れを象徴するトリオ、ミーゴスの代表曲がこちら。盟友リル・ウージー・ヴァートを交え、彼ら特有の〈トリプレット〉と呼ばれる3連符を聴かせるフロウ、そしてダークかつミニマルなトラック(名匠メトロ・ブーミンによるもの)は世界に波及し、バイラルヒットした。〈Raindrop, drop top〉というフレーズはインターネットミームとなりSNSを席巻、トラップはメインストリームの主役の座に就いた。そんな2010年代ヒップホップの象徴的な名曲は2ndアルバム『Culture』に収録されている。

Megan Thee Stallion feat. Beyoncé “Savage Remix”(2020年)

ヒューストン出身のミーガンと、同郷の女王ビヨンセという豪華な共演が実現した強力なアンセム。世代の異なる女性アーティスト2人が〈私は野蛮な(かっこいい)女〉と自信に満ちあふれた女性像を堂々と表現している点は、いまのヒップホップを表している。グラミー賞で2部門を受賞したことをはじめ、コロナ禍に突入した世界にパワフルなエネルギーを注入した、2020年代ヒップホップを切り拓いた名曲だ。原曲がTikTokでのダンスチャレンジから爆発的ヒットになったことも、現代のヒップホップを象徴するエピソードだと言える。

 

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まとめ

ヒップホップは1970年代にニューヨーク、ブロンクスのストリートで生まれ、50年以上の歴史を経て世界に定着した音楽ジャンルになった。さらに、音楽のみならずさまざまな表現が一体になったこの文化は、もっとも影響力のあるカルチャーとしてファッションやダンス、ライフスタイルの領域に波及している。次々と新しい才能、新しい音が生まれている新陳代謝の高いジャンルでもあり、現在も進化は止まらない。

ヒップホップは個人のスキルやスタイルの提示、または地元や人種といった自身が所属するコミュニティ、出自やルーツのレペゼン(代表)といったことが重視される文化だ。〈リアルかどうか〉という価値観が重視されるヒップホップは、AI全盛期のいまこそ重要な文化だという見方もできるだろう。そんな歴史の厚みと、いまだからこその意味を持つ多彩な文化を知るきっかけにこの記事がなれたら幸いだ。