撮影協力:山口 学

 

――ニュー・イヤーズ・ギター・ショウ in 勝浦

ひょっとしたら、成人式から何かが始まることもあるかもしれない。もし俺が二十歳の音楽好きだったとして、自然の摂理やものの道理について分かりやすく語ってくれる濱口祐自の演奏に生で触れられたならばきっと、幸福の青い鳥を捕まえることができたような気持ちになっていただろうと思う。1月3日の朝早く、ユウジさん(いつもそう呼んでいるので、ここでも同じように書かせてもらう)が住む那智勝浦に向かって、陽光が降り注ぐROUTE42を突き進む。彼の還暦イヤーとなる2015年の幕開けを飾るライヴ、那智勝浦町の新成人たちが観客という特殊なイヴェントに参加するために。

2014年6月にメジャー・デビューしてからずっと全国津々浦々で〈カツウラ、カツウラ〉と喧伝して回ってきた彼に(その都度、千葉の勝浦ではないという説明を添えながら)、このたびようやく行政からお呼びがかかったのだ。実に感慨深い。PR大使に選出されてもおかしくはない彼の働きをもっと評価してくれてもいいのでは?って常々思っていたけれど、まぁだいたいゆるキャラと同じような扱いを受けたって本人が喜ぶわけもないし、成人式のゲストでギターを弾くというこの形がベストだとも思う。

 

 

とまれ、晴れの舞台である。会場となったのは、那智勝浦町体育文化会館。外観も立派だが、中も新しくてキレイだ。ステージは、会場のど真ん中にセッティングされていた。新成人諸君が座る席の後ろで、父兄席の前に設えられており、ライヴが始まる前にみんながステージ前へと移動するのだと、マイク・チェック中のユウジさんが説明してくれた。

何故そんなふうになったかというと、会場の舞台でやると演者と観客の距離が遠くなってしまう。上下の垣根を取っ払って、彼らと近くで向き合いたいから、とのこと。敷居の低さがモットーで、つねにオープン。これぞ濱口祐自流なのである。

しかしながら、最大3,000人が収容可能なこんなデカいハコ(ちなみに春にはさだまさしのコンサートが控えている)で、ユウジさんのPAシステムが十分に効果を発揮できるのだろうか? 彼が地元でライヴをやるときは、ライヴハウスであろうが自身のPAシステムを持参し、自分好みの音をクリエイトするように心がけている。彼がいちばんの理想とするサロン的というかラウンジ的な親密空間を構築するためなのだが、さすがにこの体育館じゃあなぁ……などと思っていたら、前方にふたつ、後方にふたつ設置されたスピーカー(ホーム・オーディオ用である)からは清廉でゴキゲンな音色が流れてくるではないか。エコーのかかり具合も良い感じで、ユウジさんの相棒である自称弟子のマスダくんもニッコリしている。

今年の成人式のゲストとしてユウジさんを選んだのは、もうひとりのユウジさん、那智勝浦町教育委員会・教育次長であられる瀧本雄之氏だ。地元の同級生であるふたりのユウジさんが仲良く談笑している様子は微笑ましく、ホッコリさせられる。

リハが進むなか、「今日はうた唄おうかな」と言いだしたユウジさん。「若者にメッセージを込めてうた唄わな 、お前」と瀧本さんが後押しする。今日の日に似合う曲と言ったらアレしかないだろう。案の定、未音盤化の名曲“しあわせ”を歌うという。

 

 

実は、ユウジさんが成人式に呼ばれてギターを弾くのはこれが初めてではない。数年前に一度、和歌山の山奥にあるとある町からの依頼で演奏したことがある。そのときの模様は、苦々しい記憶として彼のなかにいまでも生々しく残っているようだ。

「たっぷり1時間近くも聴かせてしまって。あれは失敗したわ。終わったあと、ひとりの男の子が〈やっと終わった~、よっしゃこれからみんなで乱交パーティーに行くか~〉って捨て台詞吐いて出てったわ。最低やろ」。ユウジさんの官能的なギター演奏が彼らの性欲中枢を大いに刺激してしまったのか。持ち前のサービス精神がアダとなってしまったわけだが、それを反省して今回は3曲ほどで収めると決めたそうな。

勝浦といえば、マグロの水揚げが日本一という漁港で、かねてより気性の荒い人が多そうという印象を抱いていた。やっぱり新成人も同じなのだろうか、さっきも会場風景を撮影していたら、「おっさん、何や?」と言いたげな目がこちらを睨んでいてビビった。アルコールを注入した血気盛んな若者たちがスリリングなパフォーマンスを展開しないとも限らない。そんな光景がもしもカメラに映ってしまったりしたら、はたして記事に使えるかが心配だ。

ところで本日のユウジさんは、元旦からお酒を抜いて今日に臨んだとあって体調は万全。ただし、だいぶ緊張しているご様子。ライヴ前はいつも落ち着かない素振りを見せるけれど、この日のそれはレヴェルが一段階上な気がした。そんな彼だったが、ライヴ衣装に着替えて戻ってきたとき、アタマの上から湯気がのぼっていた。「車を停めようと思って駐車場に入ったらヘンな誘導係がおって、〈こっちちゃあう〉ってバンバン窓を叩きやがって。新年から気分が悪いわ」と唾をまき散らしながら怒っている。よかった、元気になって一安心だ。

 

――その男、二十歳の頃

約40年前、東海大学体育学部体育学科の3回生であった彼は、サッカー部に属していたが練習にはほとんど顔を出さず、ギター三昧の青春を謳歌していた(ちなみに成人式には未参加)。人生の新しい扉を開くきっかけを与えたライ・クーダーの名作『Paradise And Lunch』と出会い、ブラインド・ブレイクのカヴァー“Diddie Wa Diddie”を聴いて思いっきり打ちのめされた頃だ。学生寮のあった神奈川の山奥から何時間も電車に揺られて秋葉原へ行き、古いカントリー・ブルースのレコードや楽譜を買い漁っていた時期でもある。

でもまさかこの先、音楽で食べて行くことになるとは思ってもなかったはず。はたして二十歳の彼はいまのユウジさんを見たらどう感じるだろう?  大きなライヴ会場で何百人もの観客から拍手喝采を浴びている様子、あるいは、ずっとリスペクトして止まなかったライ・クーダーと同じテーブルを囲み、マニアックなギター談義ができるようにまでなったいまの自分を見て、どんなことを思うのか。

そんなことをロビーでぼんやり考えていると、町長さんだろうか、式が行われている会場から「みんなに見習ってほしいのは、ひとつのことを精神込めてやり続けたら、思いは叶うということ…」といった内容のスピーチが聞こえてきた。しかし、こんな極端極まりないユウジさんの生き方がみんなの手本になるとは思えない。ワイン(オーガニックに限る)と音楽に人生すべてを捧げてきた根っからの自由人。知れば知るほどにブルースマンやのう……とため息を漏らさずにいられない彼の物語を、人生のガイドブックとして活用するのは二十歳の子にとっちゃ、ちょっとばかり重すぎやしないか?

ライヴは成人式のクライマックスに置かれていた。いよいよ本番が近づく。瀧本次長がマイクを持った。「彼はこれまでずっとギターを愛しました。愛し続け…いや、愛しすぎたところもあるんですけれど」。苦言を交えながら友人の人柄をうまく紹介していくあたり、さすが旧知の仲だと思わせるところがあり。そんな彼を「テレくさいのう」と微笑みながら眺めているユウジさん。瀧本さんの言うとおり、どんなときであろうともギターを離さないできた彼の手にはいまこのときもギターがしっかり握られており、気合の入ったウォーミング・アップが続けられている。

 

 

演奏がスタートしてからふと思った。ここにいる新成人のほとんどは、これまでにブルース・ミュージック、あるいはアメリカン・ルーツ・ミュージックに触れる機会など一度もなかったのではないか?ということを。ひょっとしたらインスト音楽を親しんだことすらなかったかもしれない。ユウジさんのライヴでつねにオープニングを飾る定番曲“Welcome Pickin’~Caravan”が進むなか、横に座っていたキンキラキンの袴を履いた男子による震度2クラスの貧乏ゆすりが間断なく続いていたのはきっとそのせいもあるだろう(こちらは手持ちで演奏を撮影しており、画面が揺れて大変困った)。かつて僕の地元でユウジさんのライヴを主催した際、「歌はないんか? ならやめとくわ」と何人かにチケット購入を拒まれたことがあった。「演奏だけやったら、代金半額にしてくれ」なんて言う人もいたっけ。隣のキンキラキンくんの落着きのない動きが、そんな嫌な記憶を思い出させる。

当のユウジさんはというと、演奏の端々から緊張がありありと伝わってきて、こちらもドキドキが止まらない。「はよ終わらせるんで」みたいな言葉をしきりに呟いていたりもするのは、慣れない場にいることがたまらない所為なのか。「おたくらに圧倒されたあるのう、ちくしょう」。そう、いま彼の目に前には、晴れ着姿の若い子がズラリと並ぶまぶしい光景が広がっている。「そんな華やかな服装見とると……やばいのう」とMCにも浮つく気持ちがモロ出し状態である。

2曲目は、濱口祐自の顔とも言うべきスパイダー・コーンが剥き出しになったドブロ・ギターに持ちかえて“スライド・ブルース”へ。即興演奏に移ってから身も心もかなりほぐれてきたみたいで、躍動感溢れるリズムが会場の空気を徐々に変えていくのが見て取れる。気づけば、さっきまで尻に伝わっていた不快な振動もきれいサッパリ収まっているし。彼の喋るネイティヴ勝浦弁が、若い人にとって新鮮に響いていたような気もする。「ちくしょう、緊張したぁるのう」なんてことを口にするたび、山びこのようにあちこちから〈ちくしょう、ちくしょう〉と聞こえてくるのがおかしい。

 

 

「メッセージを送るというわけやないけど、歌うたいます。朝起きて晩寝れたらええんちゃあうか、という曲です」。ユウジさんの説明はあまりにざっくりしたものだったが、実際そういう曲なのだ、急遽セットリストに組み込まれた“しあわせ”は。勝浦の隅っこにある小さな町、脇の谷に立つ彼の住まいから見える景色をスケッチしたかのような歌詞を持つこのしっとり系バラードは、彼の人生観そのものを表現したものと言っていい。彼の歌は決して上手とは言えない。ただ、この人にしか出せない妙味があって、惹きつけられずにいられなくなる。

何かにつけて個性を出せと強いられるいまの子たちに、彼の歌はどのように響くのだろうか。アクや雑味成分が滲み出たとことん人間臭い歌は、晴天が大好きな歌手たちのカラ元気な応援歌とまったく違っているけれど、目の前の人生をこんなもんだと肯定することの大切さを説いてくれるという点で成人諸君にとっても有益な教訓になり得るものと信じる。

客席に目をやると、何人かの女子が口に手を当てながら真剣に聴いているのが見えた。これまでにもこの曲が何人ものご婦人(人生の達人の域に達した女性。僕の母も含む)をウットリさせる様子を目の当たりにしてきたが、まさか二十歳の女子の気持ちまでガッチリ掴みとってしまうとは。

ひとつの音色で他を圧倒するほどのインパクトを放ちながら、同時に自身の生き様をも見せ付けてしまうのが濱口祐自の音楽である。そのことをここに集った四十歳年下の後輩たちにどれぐらい理解できたかわからんが、人生明日は何が待っているかわからん、という大事なメッセージを少なくとも伝えることができたのではないか。It’s Never Too Late To Start。さっきの町長らしき人のスピーチのなかにもそんなフレーズがあったようななかったような。

アンコールの“大きな古時計~Freight Train”が済んで、「これからの将来、ご多幸をお祈りいたします」と、とって付けた感アリアリなセリフと共にミニ・ライヴは終了。ステージに上ってギターを奪い去るような乱暴狼藉を働く者の出現もなく、会場は終始、脇の谷の入江のように凪いでいた。でもみんな、ユウジさんの音楽は酒を呑んで聴いたらより楽しめるから、一度ライヴに足を運んでみてほしい。こんなに楽しい空間があるなんて!とショックを受けること請け合いだ。

そして成人式の思い出として、アルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』をぜひゲットしてもらいたい。君たちが住んでいる勝浦の風景にこれほどバッチリ似合う音楽もそうはないと思うから、大音量で流しながらドライヴするといい。本場の南部ブルースとはいっぷう異なった彼流のルーツ音楽を聴き、南部は南部でもこの香りは日本のディープ・サウス、勝浦ならではのものだと気づけたならば、君も一人前の大人だ。

 

 

昨年12月30日で59歳になったばかりのユウジさんの周りに晴れ着姿の綺麗なお嬢さんがやってきて、写真撮影をせがんでいる。照れくさそうにピース・サインを作る彼に、外野の友人たちからは〈いまがいちばんのモテキやのう〉とやっかみ半分の冷やかしが飛ぶ。ひょっとすると、還暦から何かが始まることもあるかもしれない。

 

PROFILE:濱口祐自


今年2015年12月に還暦を迎える、和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、11月に放送された「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼んだ。なお、2月3日(火)には東京・渋谷WWWで憂歌団内田勘太郎と競演する予定(久保田麻琴がライヴ・ミックス!)。そのほか最新情報はオフィシャルサイトにてご確認を。

【参考動画】〈Peter Barakan's LIVE MAGIC! 2014〉での濱口祐自のパフォーマンス