活動30周年の集大成
シューベルトとともに
この繊細な…しかし大らかな拍打の呼吸にすっと身を委ねて聴くよろこびは、代え難い。隙のない伸びやかさ。小山実稚恵の弾くシューベルト〈即興曲集〉は、まったく窮屈さのない音楽でありながら、広がる澄んだ視界の豊かさを精妙に捉え、聴き手と分かち合い続けてくれる。親密、とはこのことだろう。
「大好きなんですよ、シューベルト!」と小山実稚恵も嬉しそうに語る。「たとえばシューマンの曲は“私は普段こういう感情を持たないけど、彼の中にはあったんだろうな…”という風に、知らない感情を呼びおこされるのが面白い。ところがシューベルトの曲は“あっ! これってこの気持ちの時のこの感じ…!”って自分と凄く重なってくる。――どちらも内省的な作曲家ですが、シューマンは奇抜な言葉を一字一句選びながら使っているような、エキセントリックに研ぎ澄まされた戦い。対してシューベルトは、一見ぼんやりしているようで、想いが通じているんです…。シューマンのようにあちらから飛び込んでくるのではなく、歩み寄っていくと分かるのがシューベルト。常に素朴で大らか、才気走る必要もないほどの域に達した天才だろうと思うんです」
精妙をしっとりと、しかし温かくも感じられる輝きとともに歌い響かせる〈即興曲集〉――高踏的ではなく、これほどに近しいからこそ深みまで抱きとめるような、それでいて清々しい優しさに溢れる演奏。
「茫洋としているようで、ある種とてもリズミックなところもあるのがシューベルトの凄いところ。研ぎ澄まされているわけではないのに、すべてがはっきり感じられてくる。曲の中にあらわれる、ふとした瞬間にみせる優しさ、慈しむような感覚…そうした温度や呼吸や色、息や指先で感じるような、ほんわりしたぬくもりが、ほんとうに素晴らしいですね…」
小山実稚恵はこれまでも〈即興曲集〉からいくつかの曲を録音に残してきた。全8曲のうち、D899(作品整理番号)としてまとめられた4曲は、2006年発売のシューベルト・アルバムで大作《さすらい人幻想曲》と併せて世におくられた。そして2013年春の『シャコンヌ』で、フランクやバッハ、ワーグナーなどのあいだに、D935の第3曲を収録。残りの3曲もぜひと思っていたところ――今回全8曲が通して新録音された。
収録は2015年1月、軽井沢の大賀ホールにて。ソニーの元名誉会長であり自身も音楽家であった故・大賀典雄が、風光明媚な地に建てて町に寄贈した音響効果に優れたホールだが、「もともとホールにあるピアノのほかに、古いピアノも置いてあったんです。これは大賀さんの別荘にあった楽器。既に他のピアニストの方たちも試奏されていたんですがお使いにならずにあった。ところが弾いてみたら、その音色がほんとに好きになってしまって。このピアノ、心が伝わるんですよ。…今のピアノは、表面が鳴りすぎる楽器が多いんです。でこぼこに弾いても揃って聴こえる(笑)。でもやっぱり、でこぼこはそうであった上で楽器と想いを折衷しあおうというところに、いいものが生み出されることはある。大賀さんのピアノの良さもそういうところなんです。言葉を伝えるとき、滑舌の良いアナウンサーでなければいけない場合もあれば、感情を伝える俳優だからこそ深く伝えられることもある。やはり、想いがないと。すべてはそこだろうと」
大賀家旧蔵の1965年製スタインウェイが、小山実稚恵が慈しみをこめて弾くシューベルトにぴたりと合った。
「いろんな音色が表現できるこの深い語り口の美しさが素晴らしかったですねぇ。弾いてみて、この響きにはどうしてもこれ!と思って」
まず弾き始めたのはD899の第4曲だったとか。
「本当は録音の音決めをして楽器が落ち着いてから弾くんですが、どうしても今これを!と…」
ピアニストの中にとめどなく湧き起こる感興、録音が見事に捉えている。秀盤だ。
LIVE INFORMATION
○4/25(土) 姫神ホール デビュー30周年記念ピアノ・リサイタル
○4/28(火) ハーモニーふくいホール(小) ピアノ・リサイタル
○5/10(日) りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 ラ・フォル・ジュルネ新潟 2015
○5/16(土) FFGホール※
○5/23(土) 宗次ホール※
○5/30(土) 兵庫県立芸術文化センター [フェドセーエフ(指揮) チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ]
○6/3(水) 東京オペラシティコンサートホール [舘野泉ピアノリサイタル]
○6/5(金) 名寄市民ホール [堀内悠希(指揮) 札幌交響楽団]
○6/7(日) 日立システムズホール仙台※
○6/9(火) 徳島県郷土文化会館(大ホール)
○6/13(土) サントリーホールブルーローズ(小ホール) [堤剛(vc)]
○6/17(水)、18(木) サントリーホール [尾高忠明(指揮) NHK交響楽団]
※小山実稚恵12年間24回シリーズ〈音の旅〉第19回
[ ]内は共演オーケストラ、共演者
amati-tokyo.com/