精密な響きが溶け合う、期待の第2弾
ソリストとして高く評価されるだけでなく、ピアノ・デュオの世界でも、その卓抜な音楽性とテクニック、かつ知的な切り口で注目を集めている高橋礼恵とビョルン・レーマン。彼らの活動は、ベルリンをホームグラウンドに、欧州からアジアまで広く展開されている。2人へのインタヴューは、誠実で論理的な語り口に阿吽の呼吸という、まさに彼らのデュオそのものを聴くようなひと時だった。
――2009年結成ということですが、デュオ結成のきっかけは?
高橋「2人ともベルリンで同じ先生についており、付き合いも長く、ごく自然に折に触れ一緒に弾いていました。それが段々と機会が増えたのと、このジャンルには魅力的なレパートリーがとてもたくさんありますので、お互いにソロ活動と並行して、デュオとしてもやっていこうということになったのです」
――おふたりが師事したのはクラウス・ヘルヴィヒ先生でしたね。
レーマン「それ以前はハンブルク音大にいました。当時は感覚的にというか嗅覚的に音楽を作っていたのですが、次第に“何故ここでこういうことが起こるのか”、“どうしてここをこのように弾くのか”など、音楽の論理をもっと正確に、はっきりと理解したいと想うようになっていきました。ある時、ベルリンにヘルヴィヒ先生のレッスンを聴講しに行ったところ、ひとつの核から様々なものが派生し、それがどのように関連していくかということを説明されていたのが、とてもよかったのです。ヘルヴィヒ先生のもとでなら、シェーンベルクが作曲のレッスンをした時のように、音楽がどのように自然に発生、発展していくかを分析(アナリーゼ)を通して学べると思ったので、その場で先生の元で学びたいとお願いしました」
高橋「私もそれまですごく感覚的にやっていたことを、どうしてこういう風になるのだろうと、自分自身で理解して演奏するようになりたいと考えていました。その解決方法を見つけるために色々模索している中で、フランスで開かれたヘルヴィヒ先生のマスタークラスを聴講しに行ったのです。音楽の考え方、楽譜から何を見つけ、それをどのように読み解くかなど、極めて広範囲のことをおっしゃっていただいて、それでこの先生につこう!と、もうそこで勝手に決めてしまいました。行ってからは勉強することが多くて大変でしたが(笑)」
――ヘルヴィヒ先生というと、ケンプやピエール・サンカンのお弟子さんでもありますね。
レーマン「レッスンを通して、その伝統を強く感じます。先生はとてもケンプを尊敬されていて、音楽に対峙する上で、虚栄心や自己顕示欲というものとは最も遠いところにいました。音楽と真摯に向き合う姿勢であるとか、音楽のある種の厳しさ、あるいは音楽を構成する上で歪んだものを作らない心構えなどが伝わってきましたね。あとフランス音楽の時は、サンカン先生から習った響の作り方、ブレンド具合のようなもの。ヘルヴィヒ先生のレッスンで特に素晴らしいと思うのは、こういう風に弾きなさいというのではないところ。音楽の読み方や取り組み方、考え方は教えてくださいますが、自分の弾き方を押し付けない、自分が弾くように弾けとは言いません。ですので、教え子たちが画一化されることはありません」
――おふたりがヘルヴィヒ先生らしさを受け継いでいるものがあると思いますか?
高橋「自分にとても厳しく、常に現状に甘んじず、いつも何かを探してらっしゃる先生の姿勢は、私たち2人とも強く受け継いでいると思います。満足しないで先を探すということが、やはり音楽をやっている面白さでもあるわけですし。音楽的な面としては、構築という点を常に大きくとらえて、その目線を忘れないということ。それとハーモニーとリズムとの関係性への視点。互いにどのように絡み合って、どういうバランス関係、力学関係であるかということですね」
――連弾、2台ピアノの面白さ、魅力はどんなところでしょう。
レーマン「2人で多くの声部を弾くので、様々な可能性が生まれます。室内楽でありながら、豊かな響きが広がることがまずひとつ。さらにバッハ、モーツァルトから近代まで、素晴らしいレパートリーの宝庫でもあります。連弾ではシューベルトの名作が特に有名ですね。19世紀には“トランスクリプション”という編曲もののジャンルが流行しましたが、それらからはオーケストラで聴いているのとは、また別な視点が得られ、興味深いです。たとえてみれば、原曲のオーケストラが油絵だったら、ピアノ版は線描画のような感じでしょうか。場合によってはピアノ版の方が細かい線が一層見えやすいということもあります」
――では逆に、連弾や2台ピアノで大変なのはどういうところですか?
高橋「特に連弾だと1台の楽器を2人で弾くので、弦楽器とピアノのデュオなどよりも響を溶け合わせるのが難しいです。溶け合わないと本当にハーモナイズしないので、例えば弦楽四重奏などと近いような繊細さ、耳の繊細さが求められると思います。より具体的な例で言うとペダルですね。基本的にひとりがペダルを請け負うので、自分の声部だけを考えているとおかしなことになってしまいます。相手の声部もわかっていて、2人に合うようなペダリングをしなければならない。もうひとつは、やはり身体的にかなり無理な体勢をとることがあること。ひとりで普通に弾くのだったら問題ないパッセージも、変なポジションであることによってスゴく難しかったりとか(笑)。自分と相手の距離の、いいバランスを見つけなければいけません」
レーマン「音響的なバランスの問題としては、例えば上にメロディ、下にバスがあって、真ん中あたりに2人がそれぞれ何か同じような和音のエレメントを並行して作る、みたいな時など難しいですよね。2人でひとつの溶け合う和音をここで作らなければいけないとか……。またたくさんの声部が混みいっている中で、自分は今ソロのような役割なのか、それともここはもう少し引っ込んでオーケストラの一員のようすべきなのかという、その役割を本当に素早く判断し、そしてはっきりと変えなければいけないということがあります。バランスがやはり難しい」
――これまでに2枚のアルバム出されています。1枚目は『Originals and Beyond』というタイトルで、今回は『Transcriptions and Beyond』。とてもコンセプトが明確だと思います。それぞれどうしてこれらの曲を選んだのかというところからお聞かせください。
――1stアルバム『Originals and Beyond』について。
レーマン「こちらはすべて作曲家本人による自作からのTranscription=編曲です。3曲ともかなり限界に行ってしまっているような感じの作品です(笑)。ベートーヴェンの《大フーガ》はまるで現代曲のようで、収録した3曲の中でも最もモダンに感ずるほどです。シェーンベルクは、調性と無調の狭間をいくようなギリギリの曲。シューマンも4つある交響曲の中で、最も多面的かつ複雑な曲だと思います。また3曲には、バッハからくるポリフォニー的な志向、複雑さや、さらにベートーヴェンの作曲技法からの影響という共通点もあります。そういったアカデミックな要素の他に、エモーショナルな意味でも3曲はすべて極限の激しさがあります。凄まじいイクストリームなエモーションを滾らせつつ、作曲法としてはきわめて厳格。そういうコンビネーションですね」
――2ndアルバム『Transcriptions and Beyond』について。
レーマン「“編曲スタイル”に焦点を当て、様々なタイプの編曲を採り上げています。メインに置いたのは《春の祭典》で、この曲は2台で弾かれることもありますが、私たちはオリジナル編曲の1台4手でやっています。ナンカロウの《ソナティナ》は、もともとは独奏用だったのですが、あまりにも難しく演奏不可能ということで、ミカショフが4手用にアレンジしました。ナンカロウもこれはよい編曲だと認めたものです。ちなみに、ナンカロウはこの曲がきっかけで、やはり人間が弾くのは無理だと(笑)、プレイヤー・ピアノ用にその後作曲を移行してしまいます。アルヌルフ・ヘルマンの作品は、それぞれが異なったタイプの3つの編曲からなっています。1曲目はアンサンブル曲からピアノ4手に編曲した、いわゆる通常のアレンジ。2曲目は一応オリジナルから編曲されているのですが、原曲からかなり形が変えられています。3曲目は編曲した時点では原曲は存在しておらず、これから作曲しようと頭に思い描いていた作品を、先に編曲してしまったというユニークなものです。ストラヴィンスキーの2台のピアノのための協奏曲は、そういったダイレクトな編曲とは異なるのですが、オーケストラなしの協奏曲という通常のスタイルから離れているというアイディアとしてつなげてみました」
――リズムというテーマもありますね。
レーマン「そう、もうひとつのテーマは様々な“リズムの面白さ”です。《春の祭典》のとても不規則な変拍子や、モーターのような生き生きとしたリズム感。ナンカロウはずれていくような面白さ。ヘルマンは最初は安定していたものが段々と歪み、崩れていくよう。彼(=ヘルマン)が言うには、ひとつの容れ物があって、それを振り回すと中の物は色々位置が変わったり、グチャグチャしますよね。でも容れ物自体の外側や枠は変わらない。そういうアイディアやイメージに基づいているのだそうです。ストラヴィンスキーの協奏曲は、《春の祭典》から長い時間を経て、原始的で激しかった楽想が随分と新古典的な作風に変わってからの作品ですが、比較的シンプルで規則的なリズムの中に、たとえば第2、3楽章では即興的な自由な動きが現れます。その色々なリズムの面白さというのに着目しました」
――おふたりはプリモとセコンドという役割は決まっているのですか?
レーマン「決めてはいません。曲ごとに両方試して決めます」
――決め手はどんなところでしょう。
高橋「フィーリング……(笑)。曲全体の何となくのトーンにもよると思うのですけれども。傾向としては、彼が下で私が上となることが多いように思います。例えば全体のトーンで上が明るいものは私が弾くことが多く、上でもちょっと鈍色(にびいろ)のものだったりすると彼が弾いたりすることもあるでしょうか。でも基本的には決めてはいません。確定させてしまうとちょっとつまらなくなってしまうかなぁと思うので。2枚目のアルバムでは、ヘルマンさんの曲は彼が上で、《春の祭典》とナンカロウは私が上とパートを変わっています。でも、編集をした技師の方は、録音には立ち会っていなかったものの、変わったのに気付かなかったと言っていました」
――楽器について。1枚目ではスタインウェイでしたが、2枚目のアルバムではシュタイングレーバー(Steingraeber & Sohne KG)を弾かれています。バイロイトのメーカーですよね。なかなか珍しいセレクトだと思うのですが。
高橋「まず2台ピアノのための協奏曲に必要なので、曲想にも、楽器どうしとしてもよく合うという条件で探していました。そこで、1枚目の時にも楽器の手配を担当してくれた友人のピアノ技師に相談してみたところ、彼が新しく買って、色々と手を入れたとても素晴らしい楽器があるというので、それを試させてもらいました。それがシュタイングレーバーで、とてもブリリアントで、曲にもスゴく合うんじゃないかということになりました。もう1台はベルリンのフィルハーモニーのものです。フィルハーモニーでは、調律のトップの方が、スタインウェイばかりに偏らず、ソリストがチョイスできるように1年ごとに色々な異なる楽器会社のピアノを借り入れるようにしていています。それがたまたまその年にはシュタイングレーバーが入っており、そこの調律師さんも知り合いだったので、借りられることになったんです」
――Steingraeberの楽器の個性はどのようなところでしょう。
レーマン「特に高い音域がとてもエネルギッシュで輝きがあります。と同時に、様々な層に透明感があります。そのため、ぐちゃっと混じらないで色の層で聴こえてきてくれるような性質がありますね。多種の色彩を作ることができるので、この曲にはとても合っていたと思います」
――1枚目がオリジナル、2枚目がトランスクリプション、こうくると3枚目のタイトルは何になるのでしょう?
レーマン「色々なアイディアがあり、今はまだ計画中です。3枚目もこのシリーズで続けるかは未定ですが、トランスクリプションというテーマ自体は今後も深め、広げていこうと思っていますし、プログラミングに関連性を持たせ、全体をひとつの作品のように構成するという方向は考えています。2016年の夏前くらい――5、6月頃に出す予定です」
――楽しみにしています。コンサートも是非お聴かせください。