コラム

スティーヴィー・ワンダーの永遠のミューズ、シリータ・ライト―キュートな歌声に彩られた作品たちの色褪せない魅力を再検証

【IN THE SHADOW OF SOUL:ソウル・ミュージックの光と影】[第97回]永遠のシリータ

スティーヴィー・ワンダーの永遠のミューズ、シリータ・ライト―キュートな歌声に彩られた作品たちの色褪せない魅力を再検証

創造力のピークへ昇り詰めていく頃のスティーヴィー・ワンダーと恋に落ち、その永遠のミューズとなったシリータ・ライト。彼女のキャリアのほぼ全容を明らかにする発掘盤のリリースに寄せて、残された作品たちの褪せない魅力を再検証してみよう

 スティーヴィー・ワンダーが好む女声は総じてキュートだ。ミニー・リパートンデニース・ウィリアムズ、そしてシリータ。うち公私に渡るパートナーとなったシリータは74年にスティーヴィーの名を冠したアルバム『Stevie Wonder Presents Syreeta』をモータウンから発表し、そこではミニーやデニースを従えて歌ってもいた。ミニーの『Perfect Angel』(74年)を匿名でプロデュースしたスティーヴィーは、同じようにシリータにも光が当てられるべきだとして彼女のアルバムを全力でバックアップしたという。スティーヴィーにとってはシリータこそがパーフェクトな天使だったのだろう。

 もっとも、スティーヴィーと出会ったのはモータウンで数年を過ごしてから。1946年にペンシルヴァニア州で生まれ、家族でデトロイトに住み着いたシリータは当初、受付嬢および秘書としてモータウンで働きはじめた。そのうちブライアン・ホランドに認められて歌うことになるというキャリアはマーサ・リーヴスにも通じているが、シリータの場合はセッション・シンガーとして活動を開始。これが60年代中期頃で、その甲高い声がダイアナ・ロスを思わせたのか、シュープリームス用のデモを歌うようになる。が、そうこうしているうちに彼女にもデビューのチャンスが到来。当初はシュープリームス用に書かれた“I Can't Give Back The Love I Feel For You”を、68年初頭に本名のシリータ・ライト改めリタ・ライト名義で放つ。残念ながらヒットにはならなかったが、この後ダイアナがシュープリームスを脱退する際、後釜としてシリータの名も候補に挙がったそうだ。結局その座にはジーン・テレルが就くことになるが、この時すでにスティーヴィーと出会っていたシリータには不要なキャリアだったのかもしれない。

 スティーヴィーの勧めでソングライターとしても活動を始めた彼女は、スティーヴィーらとスピナーズの“It's A Shame”(70年)を共作。ここからふたりの蜜月関係が始まり、スティーヴィーの70年ヒット“Signed, Sealed Delivered, I'm Yours”でペンを交えた後は、70年9月に結婚したホットな関係のままスティーヴィーの71年作『Where I'm Coming From』で全曲を共作し、“If You Really Love Me”では歌声も交えていた。

 だが夫婦関係は長く続かず、18か月後には離婚。それでもふたりは音楽パートナーとして相性が良かったのか、シリータ名義で72年と74年に出した初期2枚のアルバムはスティーヴィーの全面援護で仕上げられている。さらにリオン・ウェアが手掛けた3作目『One To One』(77年)にもスティーヴィーが制作した75年のシングル“Harmour Love”が収録。離婚の苦しみを乗り越えたシリータは以降のスティーヴィー作品でも“Come Back As A Flower”(79年)などを歌い、バック・ヴォーカルとして参加した95年作『Conversation Peace』まで関係を保っていく。

 ただ、彼女と男性との絡みはスティーヴィーだけではなかった。77年には、スピナーズ時代に“It's A Shame”を歌い、シリータとはすでに共演済みだったGC・キャメロンとの共演アルバム『Rich Love, Poor Love』を発表。その後、79年の映画サントラ『Fast Break』にてビリー・プレストンとデュエットした“With You I'm Born Again”が全米4位のヒットとなり、その高評価を受けて、81年にふたりは自分たちの名前を冠した共演アルバムも発表している。また、コンスタントにソロ・アルバムも出していくなか、83年作『The Spell』ではそのバックアップを担ったジャーメイン・ジャクソンと共演。さらにモータウン制作の映画サントラ『The Last Dragon』(85年)では“First Time On A Ferris Wheel”をスモーキー・ロビンソンと歌うなどしており、改めて振り返るとシリータは、節目節目で男性アーティストと絡むことでキャリアをステップアップさせてきたことがわかる。伸びのあるハイトーン・ヴォイスは男性シンガーたちにとっても心地良いものだったのだろう。

 

 同時に彼女はソングライティングやバック・ヴォーカル、客演の仕事もこなしていた。曲のムードを壊さない優しい声はジャズ~フュージョンとも相性が良く、ゲイリー・バーツ『Music Is My Sanctuary』(77年)、クインシー・ジョーンズ『The Dude』(81年)それぞれの表題曲でも聴くことができたし、似た声質を持つシェリー・ブラウンパトリース・ラッシェンの作品でも持ち味を発揮。80年半ば以降は子育てなどで音楽業界から遠ざかるも、UKにてモーターシティのプロジェクトに参加したり、ジャズ・サックス奏者ジョージ・ハワードの楽曲で快活な美声を聴かせてもいた。UKにおけるスティーヴィー・ワンダー再評価の急先鋒となったオマーが97年作『This Is Not A Love Song』にてシリータを招き、表題曲や“Lullaby”でかつてのスティーヴィーとの共演を匂わせたコラボからは本格的な復活を期待させたものだ。

 訃報が届いたのは、その7年後。奇しくもミニー・リパートンと同じ乳がん(や骨のがん)などが原因で、2004年7月に58歳の若さでこの世に別れを告げた。が、彼女の曲が流れてくると、まだどこかにいるのではないかと思うほど、その声は瑞々しく生命力に溢れている……。

 

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