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余談や蛇足を徹底的にラップしたリリック

これが〈1にビート、2にベース〉の側面なのだが、リリックは圧倒的に〈あと余談〉なのだ。そもそも“B-BOYブンガク”自体が、「(USのラップの)日本版についてる訳詞の異常に格好付けた感じが好きだったから、それをそのまま日本語でラップしたらどうなるのかを試してみようかなって」と、Boseがインタビュー集「ラップのことば」で話しているように、極論すれば〈もしもSDPがUSヒップホップっぽいラップをしてみたら〉という、ドリフの〈もしもシリーズ〉的なコントなのだ。

同書では“ノーベルやんちゃDE賞”についても、「あんなの構成的にも内容的にもコントでやれば良い事なんだけど、それをどうラップとして成立させるかっていう謎のチャレンジだから」と話しているように、基本的に、アルバム全体を通して、リリックはコント性(“南極物語”など)や身内ノリ(“ジゴロ7”など)といった、〈余談〉であり、〈5th WHEEL 2 the COACH〉=〈蛇足〉で構成されている。

現在でもクラシックとして名高い“サマージャム’95”も、内容としては余談であり雑談だ。なにしろ、あの曲でのSDPは、実は部屋から一歩も出ていない。ANIとBoseがひたすら「夏ってこうだよね」「あんな事あったね」「夏といえば」をダラダラと話しているだけであり、その中で描かれる夏の情景に、基本的には本人たちは足を踏み出していない。つまり、曲で語られている情景自体が、そもそもが〈妄想でありノスタルジー〉なのだ。

もちろん、1994〜1995年当時の若者のスタイルは随所に感じるし、それ以前や以降、現在の若者の生活感や生活観とはかなり違う、あの時ならではのリアリティはある。同時に、ジャズサンプルを基調にしたメロウなトラックという〈スタンダードさ〉と、妄想と追憶の産物という〈イマジネーション〉、そして〈ラップという話芸〉をフロウとリリックで形にするANIとBoseのラップが組み合わさっているからこそ、時代を限定しない普遍的な構造が担保され、未だに聴き継がれる楽曲となっている(同時に、それに落とし前をつけるかのように、〈リアルな現実〉を描く“サマージャム2020”を作るSDPの恐ろしさよ……)。

 

〈余白〉を求めて進化していったその後のSDP

その意味でも、フリと展開とオチのしっかりと決まったコント的な“The Late Show”や“ノーベルやんちゃDE賞”、集団芸的な“ジゴロ7”、感情を明確に落とし込んだ“From 喜怒哀楽”など、このアルバムの収録曲のリリック(トラックもだが)は情報の構築性が非常に高く、そこにブレがない。そして、その完成度があまりに高いために、蛇足と言いながらも、自由度や〈余白〉はあまりない。それは、出典が見当たらなくて恐縮だが、「この内容をずっとライブでやるのは、決まったネタを繰り返しやるようで、やってて退屈していた」とSDPのメンバーがインタビューで話していたように、本人たちも自覚していたのだろう。

故に、根本的なものの見方やテーマ性といった〈SDP的な価値観〉は変わらないのだが、次作『偶然のアルバム』での“No.9”のように、より語感やライム、発声を通した〈ラップとしての心地よさ〉や、タイム感が意識された〈タフでラフなビート〉という、ある種の〈余白〉が意識されるようになり、それがB-BOY人気の高い『FUN-KEY LP』に結実するのも、必然だったといえるだろう。そして、以降はその〈余白〉と〈構築性〉を行き来しながら、SDPの作品づくりが展開され、進化していっているのだと、筆者は考えている。

「SPとオモシロに火をともし」(“B-BOYブンガク”)た、ヒップホップ史に残る名盤がこれからも聴き継がれることを、切に願ってやまない。また、2025年5⽉6⽇(火)に大阪・なんばHatch、5⽉8⽇(木)に東京・LINE CUBE SHIBUYAで行われる35周年記念ライブ〈スチャダラパースペクティブ ~ここから彼方へ~〉ではどの曲がピックアップされ現在のSDPとして表現されるのか、期待したい!