摩天楼をロマンティックに染めながら、カクテルのように心を酔わせる男たち、マンハッタンズ。時代に洗われたグループの足跡と、消えることのない永遠の名曲たちを、ほぼ全作が復刻されているこのタイミングに振り返ってみましょう!!
〈ジャージー・ボーイズ〉といえばフォー・シーズンズだが、この人たちも忘れられない。NYマンハッタン島の向こう岸にあるニュージャージー州ジャージーシティで結成された、〈ソウル版ジャージー・ボーイズ〉とでも言うべきマンハッタンズ。76年の全米No.1ヒット“Kiss And Say Goodbye”やグラミー受賞曲となった80年の“Shining Star”など、70~80年代のコロムビア在籍時に多くの名曲を放った彼らは、ソウル界屈指の名門ヴォーカル・グループである。日本でも(彼らのお墨付きを得た)シャネルズ改めラッツ&スターが大きな影響を受けたほど、その人気は本国だけに止まらなかった。
トレードマークは洗練されたハーモニーで、サム・クックを彷彿とさせるシルキーで情熱的なヴォーカルのジェラルド・アルストンと、低音ヴォイスでムードを盛り上げるブルーことウィンフレッド・ラヴェットがグループの二枚看板となった。ただし、ジェラルドは初めからいたわけではなく、オリジナル・メンバーは、ジョージ“スミッティ”スミス(テナー)、ウィンフレッド“ブルー”ラヴェット(ベース)、リチャード・テイラー(バリトン)、エドワード“ソニー”ビヴィンズ(テナー)、ケネス“ウォーリー”ケリー(テナー)の5人。結成の経緯は諸説あるため、あくまで一説として書くと、ジョージ&リチャードの2人と、他3人がそれぞれ別の高校の仲間同士で、リチャードとエドワードが徴兵でドイツに駐留した際に意気投合し、帰国後にドーセッツを結成。その後、それぞれの高校時代の仲間を集めて63年にスタートしたのがマンハッタンズだったとされる。グループ名はカクテルの〈マンハッタン〉にちなんで命名されたという。
初期のメイン・リードはラフなヴォーカルが持ち味のジョージ・スミス。NYでのタレント・コンテストで入賞した彼らは、それがキッカケとなってカーニヴァルと契約し、64年からシングルを出しはじめているが、この時期はドゥワップの延長といった印象が強い。カーニヴァルでは2枚のアルバムを出し、その後、69年にキング傘下のデラックスと契約。ここでの初作『With These Hands』(70年)は、ジョージ・カー製の甘茶なソウルを含む一方で、表題曲などのポピュラー~ポップス名曲をフォー・フレッシュメンに通じるモダン・ジャズ風のエレガントなハーモニーで奏でる、〈サパークラブ的〉な体質が顔を覗かせていた。それは各メンバーがペンを執ったオリジナル曲においても同様で、次作以降でテディ・ランダッツォの曲を積極的に取り上げていくのもそうした体質ゆえだろう。
70年12月には、かねてより健康状態の悪かったジョージ・スミスが脳腫瘍で他界。そこで新たなリードに抜擢されたのが、当時19歳のジェラルド・アルストンだった。彼がスカウトされたのは、マンハッタンズがライヴを行うノースキャロライナのコンサート会場でサウンドチェックのために歌っていたところだという。新生マンハッタンズは南部録音を含む『A Million To One』(72年)を発表し、シングル“One Life To Live”が過去最高となるR&Bチャート3位を記録。これが注目を集めてコロムビアから声が掛かる。黄金時代の幕開けだ。
73年にコロムビアに入社した彼らは、当時昇り調子にあったフィラデルフィア・ソウルの音を浴びに聖地シグマ・サウンド・スタジオへ。ボビー・マーティンが指揮するMFSBの演奏によってさらなる洗練を身につけ、バート・デコトーとも組みつつヒットを連発していく。先述の“Kiss And Say Goodbye”もそんな時代の一曲だ。76年にリチャード・テイラーが抜けて4人編成になると若干パワーダウンするも、80年代に入るとシカゴ・ソウルの名匠レオ・グラハムと組んだ“Shining Star”でキャリアの頂点を迎えている。その後、NYサウンドの精鋭マイティ・M・プロダクションと組んで新境地を切り拓き、時代の波にも乗った。が、ボビー・ウーマックを迎えた86年作『Back To Basics』ではグラハムと再会して原点回帰するも、レジーナ・ベルとのデュエットを含めてジェラルドのソロ的な性格が強くなり、メンバーのハーモニーは激減。それが原因かどうかはわかりかねるが、同作を最後に彼らはコロムビアを去り、ジェラルドは数年後にモータウンからソロ・デビューを果たす。
一方、マンハッタンズは新リードに元マントラ(キャミオ一派)のロジャー・ハリスを迎えてインディーから再出発。その後はメンバー離脱や交代を繰り返すうちに分裂するが、やがてブルーとジェラルドの二枚看板が再会し、近年まで精力的にライヴ活動を続けてきた。が、2008年の『Men Cry Too』を最新作としたまま、2014年12月にエドワードとブルーが相次いで亡くなり、今年2月にはケネスも他界。87年に逝去したリチャードも合わせて、オリジナル・メンバーは全員鬼籍に入ってしまった。
チャート的に低迷した時代の作品であっても、グループ名の由来となったカクテルのようにエレガントな気風は不変だった彼ら。その遺産をジェラルドがどう受け継いでいくか、今後はそこに注目したい。