大西洋から羽ばたいた彼らは煌めきながら上昇を続け、やがて愛の星になった——都会の空がブラック・コンテンポラリーへ色を変えた時代にタイムレスな信頼を獲得したアトランティック・スター。その栄光の足取りを振り返ろう!

 アトランティック・スターの名前を目にすると、〈スター〉と名のつく男女混成のソウル系ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループが80年代の同時期に活躍したというトリヴィアを持ち出したくなる。他にはミッドナイト・スター、スターポイント、ファイヴ・スター。どのグループも実力のある女性シンガーをフロントに据え、ブラック・コンテンポラリーと呼ばれた音楽のアーバニズムをファンク由来のサウンドで打ち出した名門だ。なかでもアトランティック・スターは、87年にワーナーから出した“Always”が全米総合/R&B両チャート1位を記録する大ヒットとなり、日本を含め世界的にも注目され、圧倒的な成功を収めている。ウェディング・ソングの定番になるミドル・オブ・ザ・ロード的なバラードで、ライヴの山場を飾り、ベスト盤が作られるたびに同曲のタイトルが用いられるなど、これをグループの代表曲とすることに異論はないだろう。

 同様にクロスオーヴァー・ヒットとなった彼らの曲に、全米3位/R&B4位をマークした85年の“Secret Lovers”がある。表題が示すように不倫の歌だ。その2年後に永遠の愛を誓う“Always”を出す変わり身の早さには驚くが、いずれにしてもアトランティック・スターの曲におけるメイン・テーマは愛であり、都会の夜景や星空、ベッドルームをイメージさせるラヴソングを臆面もなく歌い上げてきたロマンティックなR&Bバンドという印象が強い。

 自作自演のバンドである彼らは、高度な演奏能力と巧みなヴォーカル・アレンジが武器で、曲を書いてリードを歌うデヴィッド(ヴォーカル/ギター)とウェイン(ヴォーカル/キーボード)、および兄弟のジョナサン(トロンボーン/キーボード)のルイス3兄弟がサウンドメイキングの要となった。特にデヴィッドとウェインが書く曲のメロディー強度はファンクを出発点とした同時代のグループの中でも抜きん出ており、ベイビーフェイスやブライアン・マックナイトに近いセンスも感じられる。サム・ディーズ作の“Send For Me”(80年)、ヘイミッシュ・スチュアート作の“If Your Heart Isn’t In It”(85年)、ケニー・ノーラン作の“Masterpiece”(91年)といった外部作家陣による名バラードも、美しい曲を書くルイス兄弟のソングライティング・センスに合わせて選ばれたのだろう。

 

 グループは76年にNY州ホワイトプレインズでスタートしているが、デビューから80年代中期までは9人編成の大所帯で、3兄弟の他に、ポーター・キャロル(ドラム/ヴォーカル)、クリフォード・アーチャー(ベース:現在は東京で活動中)、コラン・ダニエルズ(サックス)、ジョセフ・フィリップス(フルート/パーカッション)、ウィリアム・サダース(トランペット)、女性シンガーのシャロン・ブライアントが在籍。このうちジョナサンを含む半分近くは、トランペット奏者のデューク・ジョーンズを中心に結成されたニューバン(New Bandの略)の出身で、同バンドがアトランティック・スターの前身とされている。ニューバン時代は初期のクール&ザ・ギャングやアース・ウィンド&ファイアがそうであったように混沌としたジャズ・ファンクが中心で、その後、徐々に磨き上げられてブラック・ポップ的なグループに変身していった。

 アトランティック・スターという名前は、〈大西洋(アトランティック)に面した東海岸のスター〉と、NY出身者としての誇りを込めたもの。改名は、70年代中期にカリフォルニアにやってきた彼らをA&Mに迎え入れた同社のボス、ハーブ・アルパートの提案だったという。フィリー・ソウル(MFSB)のギタリストであるボビー・イーライをプロデューサーに招いたA&Mでの初期2作は、“Stand Up”(78年)や“(Let’s) Rock ‘N’ Roll”(79年)などのディスコ・ファンクが中心で、〈東海岸版ローズ・ロイス〉といった印象も受ける。

 ただ、他アーティストのレコーディングにも参加するなど演奏スキルは申し分なかったが、楽曲のオリジナリティーはいまひとつ。それが好転したのは80年以降、コモドアーズの人気をポップ・フィールドにまで押し広げたジェイムズ・アンソニー・カーマイケルと組んでからで、女性シンガーを含むグループの特性を活かしつつヴォーカルに光を当てたカーマイケルのプロダクションによって、男女のリードが甘いラヴ・バラードを歌うスタイルが完成していく。

 女性リード・シンガーの存在が都会的でエレガントなイメージを与え、グループのキモになったことは間違いない。ニューバン時代から80年代中期まで在籍したシャロン・ブライアントを筆頭に、歴代の女性シンガーは皆シャープで艶やかな美声の持ち主で、ソロとしても通用する歌唱力やタレント性を備えていた。シャロンはソロに転向した際、当時新進のジャム&ルイスと組む予定で、ジャネット・ジャクソンが『Control』で歌った曲を当初は彼女が歌うはずだったなど、エピソードのスケールも大きい(結局ソロ・アルバムは89年に別の形で発表)。“Secret Lovers”や“Always”で甘味を極めた2代目のバーバラ・ウェザーズも後にソロ作を出しているが、彼女はもともとルイス兄弟がソロ・デビューさせようとして目をつけた逸材だった。以降、ポーシャ・マーティン、レイチェル・オリヴァー、クリスタル・ブレイク、アイシャ・タナー、現リードのメリッサ・ピアースまで、どのシンガーも往時の雰囲気を再現しながら、それでいて誰かの二番煎じにならない各々のカラーがあった。

 デビュー以来もっとも大きな変化が訪れたのは、アルバム・タイトルが示す通り85年作『As The Band Turns』の頃だ。メンバーを大幅に削減してルイス3兄弟の結束を強め、打ち込みを用いたエレクトロニックなファンクが増加。それは3兄弟がサポートしたマック・バンドなどの楽曲にも反映された。が、リプリーズやアリスタからアルバムを出した90年代、そして現時点での最新作となる『Metamorphosis』(2017年)まで、途中デヴィッドの脱退などがありながらも生き残ったのは、常にフレッシュな女性シンガーを迎え、優美で端正なバラードを歌い続けて無二のポジションを獲得したからだろう。トレンドと程良い距離感を保ちながら、コンサバティブな音楽性を強みにしてきた。社会や人種問題に対して直接的に何かを言ってきたわけではないが、〈アーバン〉という言葉が有効だった時代、アトランティック・スターの音楽はインナーシティでままならぬ日々を送る黒人たちの生活を潤してきた。そのことは、R&Bやヒップホップのアーティストたちによるサンプリングやカヴァーといった数々のリサイクル例でも証明されている。 *林 剛