デトロイトのソウルモータウンがすべてではない。モータウンの創設者ベリー・ゴーディの仕事を学びながらも、モータウンとは違った方法論でデトロイト・ソウルの道を切り拓いた人物がいる。ドン・デイヴィスだ。1938年10月25日にデトロイトで生まれた彼は、かの地のプロデューサー/レーベル・オーナーとして地元の才能を束ねたドン(重鎮)。その名前が発する図太く重厚な響き、それは奇しくもサウンドと直結していた。

 もともとはギタリストとして地元で音楽活動を開始。50年代後半からモータウンなどのセッションに参加し、一説によればバレット・ストロングの“Money”(59年)やキャピトルズの66年ヒット“Cool Jerk”でもギターを弾いていたようだが、真偽のほどは定かでない。ただ、それらのセッションで同席していた、後にファンク・ブラザーズと呼ばれる面々やその周辺人物と交流を持っていたことは確かで、そうしたなかで築いた人脈が後の成功に繋がっていく。一方で、60年代初頭にはデイコDaco)というレーベルを設立しているが、この共同経営者はベリー・ゴーディの元妻テルマ・コールマンだった。ベリーの元妻と組む……それはモータウンとは別の道を歩むというある種の意思表示だったのではないか。その後もドンはテルマに協力し、同時に自身のグルーヴズヴィル・プロダクションを設立。グルーヴズヴィルグルーヴ・シティといったレーベルから地元の才能を送り出していく。その名が示すようにドンの作る音はグルーヴ、うねりを重視していて、タイトで硬質なビートを特徴とした同時期のモータウンよりも、まろやかでモダンな印象が強いものだ。

【関連動画】ジョニー・テイラーの68年の楽曲“Who's Making Love”

 

 かくしてモータウンとは違う作法で自分の音を創り出そうとしていたドン。そんな彼に注目したのが、スタックスの新たな舵取りとなり、同社にモータウン的なサウンドを持ち込もうとしていたアル・ベルだった。正反対の方向を向いていたふたりはデトロイトのラジオDJを介して繋がり、アトランティックから離れて多角化をめざしていたスタックスにて、カーラ・トーマスを筆頭にデトロイト流儀のメンフィス・ソウルを作っていく。ジョニー・テイラーが68年に放った“Who's Making Love”はその代表作で、同曲で名を上げたドンは、傘下のヴォルトで創作の自由も与えられたという。そこでダレル・バンクスエモーションズなどに関わるのだが、うち、もっとも成功したのがドラマティックスだった。盟友トニー・へスターをブレーンに、ドンはその黒幕として“Whatcha See Is Whatcha Get”などの名曲を陰で支え、モータウンのテンプテーションズに対抗するかのように骨太でタフなグルーヴを刻印していく。これらの録音が行われたのは、ドンが71年に買収した地元の由緒あるスタジオ=ユナイテッド・サウンド・システムズ。彼はここを根城とし、西海岸に移転したモータウンを横目で見ながら、デトロイトに残った旧モータウンの裏方やPファンク一派、マイケル・ヘンダーソンらを非常勤のセッションマンとして起用し、地元の腕利きたちを繋げたのだ。

【参考動画】ドラマティックスの71年の楽曲“Whatcha See Is Whatcha Get”

 

 スタックスの失速とほぼ同時期にアル・ベルと袂を分かったドンは、その前後にカデットデルズを、ブッダフューチャーズバーバラ・メイソンを手掛け、持ち駒のドラマティックスをABCに連れていきヒットを量産。ABCではマリリン・マックー&ビリー・デイヴィスJrでも成功を収めるが、ドンを高みに導いたのはジョニー・テイラーがコロムビアに移籍して放った“Disco Lady”(76年)だろう。この大ヒットで波に乗ったドンは、スタックスからエピックに移ったソウル・チルドレンやコロムビアに入社したボビー・ウーマックを手掛け、ワーナーに移籍したデヴィッド・ラフィンもプロデュース。オーケストラを巧みに使い、無骨でディープな体質を持つ歌い手をボトムの太いモダンなサウンドで新しい時代にフィットさせる音職人として仕事をこなしていくのだが、それはドンが旧モータウン的なノーザン・ビートに固執せず、南部のマッスル・ショールズ一派とも手を組み、ファンクスウィート・ソウルディスコといった流行の音にも貪欲だったからこそできた芸当であろう。

【関連動画】ジョニー・テイラーの76年の楽曲“Disco Lady”

 

 同時期にRCA傘下で設立したトータス・インターナショナルという自主レーベルは短命に終わるも裏方としては失速することなく、エンチャントメントなどの作品でも手腕を発揮。ただ、80年に盟友のトニー・へスターが殺害されたことも影響したのか、音楽業界の第一線からは離脱し、今度は銀行を買収して異業種のドン(頭取)として力を発揮していく。それから先、2014年6月に75歳で亡くなるまでは別の人生だったが、デトロイトに生まれ、デトロイトに死したこの男の生き様は、どこまでも潔かった。生前、ドンの古希を祝うパーティーに同郷のキース・ワシントンケムが駆けつけてパフォーマンスを披露したという事実も、彼の重鎮ぶりを伝える象徴的なエピソードだろう。

 

 

▼ドンの関わった作品を一部紹介

左から、エモーションズの72年作『Untouched』(Volt/ユニバーサル)、ドラマティックスの75年作『Drama V』(ABC)、ジェニー・レイノルズの76年作『Cherries, Bananas & Other Fine Things』(Casablanca)、デヴィッド・ラフィンの79年作『So Soon We Change』(Warner Bros.)
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