名手たちが引き締まったプレイを聴かせるLA録音作
河合奈保子はすでにアルバム『DAYDREAM COAST』でロサンゼルスレコーディングを経験していた(1984年4月から5月にかけて)。そこで計り知れない手ごたえを感じたことが1年後の『9 1/2 NINE HALF』につながったのでは、と私は考えている。
デイヴィッド・フォスター、マイク・ポーカロ、マイケル・ランドウ等は引き続いて関与、イエロージャケッツの初代サックス奏者であるマーク・ルッソ、マイケル・ジャクソン“Rock With You”のドラマーとしても知られるジョン・ロビンソンたちも実に引き締まったプレイをしている。
メインのエンジニアとしてクレジットされているのはエリス・レジーナ&アントニオ・カルロス・ジョビン『Elis &Tom』、USAフォー・アフリカ“We Are The World”などにも関わる名匠ウンベルト・ガティカ。
“FINDING EACH OTHER”は全編英語だ。80年代当時の〈英語歌唱に秀でているアイドル〉といえばハワイ育ちの早見優の独走状態という印象があるけれど、TOTOのスティーヴ・ルカサーとスケールの大きなボーカルデュオを聴かせる河合奈保子のアプローチも堂々たるものだ。先に触れた映像作品「9 1/2 Fantastic Journey」にはレコーディングスタジオでの風景も収められていて、明らかに当てぶりとはいえ、河合とミュージシャンたちが輪を描くような形で演唱しているシーンも見ることができる。
洋楽的な音処理と〈らしさ〉あふれる歌い口
『9 1/2 NINE HALF』はアルバムを通じてボーカルの音処理が洋楽的――といっても何が何やらと思われるかもしれないけれど、つまり〈とにかく歌を前に出すタイプの〉歌謡曲のミキシング・マスタリングとは異なる。テンションに富む和音やタイトなリズム、いかにも80年代半ば的リバーブの間から、河合奈保子のボーカルだけが決して突出することなく、やわらかに立ち上がってくる感じか。声の伸び、幅の広さはいうまでもなく、“ホワイト・スノー・ビーチ -SAY IT’S OVER-”におけるビブラートの用い方も当時の彼女には新機軸だったに違いない。
正直、80年代のアイドルポップスとしてはかなりハイブラウであるとも感じるのだが、歌声はあたたかいし、やっぱり語り口というか歌い口は海外録音であろうが河合奈保子のままなので、ファンの間でも〈なんだか遠いところに行ってしまった、難しい音楽になってしまった〉というよりも、〈なんかこれまでとちょっと違うけど面白いな、やっぱりいいな、俺も新しい何かに取り組んでみようか〉と感じる層の方が多かったのではないか、と私は想像する。
『9 1/2 NINE HALF』が決意させたこと
ジャケットに使われている写真は裏表とも横向きで笑顔はなし。歌詞カードにもいくつか写真は掲載されているが、主体はアメリカの風景で、ポートレイトは〈引き〉で撮られている。アイドル系アルバムにしては少なめの全9曲で構成されていて、シングル盤との重複は皆無。
大きく振り切ったな、という印象を受けるのだが、いっぽうで1985年の河合奈保子は前述“デビュー〜Fly Me To Love”などポップな曲調の(テレビで歌っている姿を見ながら一緒に口ずさめるような)シングルをきって、「レッツゴーヤング」「ヤンヤン歌うスタジオ」「レッツGOアイドル」などのアイドル大活躍のテレビ番組に出て、「明星」(6月号の表紙は菊池桃子、近藤真彦との3ショット)、「平凡」(8月号の表紙は菊池桃子、田原俊彦との3ショット)、「近代映画」などのアイドル雑誌に出て、コンサートで少年の声援を浴びまくっていた。が、『9 1/2 NINE HALF』は、何か小さくないものを彼女に決意させたのではないか。
この作品を最後に河合奈保子はオリジナルアルバムのリリース間隔をあけ、約1年後に全レパートリーを自身の作曲で占めた『スカーレット』を発表。そのジャケットに顔写真はない。