メンフィス・ソウルとハイの歴史に名を残す大御所のキャリアとその新作

 メンフィスの名門ハイにおける70年代の顔がアル・グリーンなら60年代の顔はドン・ブライアントだと言われる。もっとも、ハイ時代には10枚のシングルを出すもアルバムは1枚のみ。それでも日本ではアルに迫る人気で、2016年に行われた37年ぶりの来日公演は熱狂をもって迎えられ、2017年に48年ぶりのソロ・アルバムを出してからは再評価熱も高まっている。ジャンプ・ナンバーにおけるウィルソン・ピケットばりのダイナミックな激唱、バラードでのオーティス・レディングに通じるディープな歌い込みは格別だ。ソングライターとしても活動し、奥方となるアン・ピーブルズのブレーンとして“I Can't Stand The Rain”(73年)などのヒットにも貢献した。

 42年4月2日生まれ。生粋のメンフィスっ子で、ウィリー・ミッチェルと共にメンフィス・ソウルの地盤を固めたドン。アル・グリーンがハイのスターとなるまでウィリー・ミッチェルが手塩にかけていたのは彼で、50年代からバンドを率いていたミッチェルは一派のフォー・キングスというヴォーカル・グループのリード歌手として、まだ10代だったドンを抜擢している。兄のジェイムズも在籍していたフォー・キングスは50年代中期からシングルを発表。その後ミッチェルがハイに入社すると彼らも同行し、63~64年には傍系レーベルであるM.O.C.からも2枚のシングルを出した。

 ミッチェルの導きで64年にソロ・デビューしてからは勢いに乗り、自作曲も含めて69年までシングルを連発。いわゆる〈ハイ・サウンド〉が完成する前のリズム&ブルース然としたジャンプ・ナンバーやスロウ・バラードでのエモーションを込めた歌唱からは、例えば65年の“I'll Do The Rest”などを聴いていると、〈ひたむき〉という言葉が浮かんでくる。この間には、女性シンガーのマリオン・ブリットナムと組んだ1+1という名義でM.O.C.からシングルも出していた。60年代後半にはハイ・リズムがバックを受け持ち、ドン屈指の名曲として人気を集めるバラード“I'll Go Crazy”(68年)も誕生したが、残念ながら全国ヒットにはならず、それらの曲がアルバムにまとめられることはなかった。ファースト・アルバム『Precious Soul』(69年)も当時のソウル・ヒットのカヴァー集で、同年にアル・グリーンがハイから出したアルバムでオリジナル曲を歌っていたことを考えると、ミッチェルはアルのほうに興味が向いていたのだろう。結果、ドンは裏方に回るのだが、アン・ピープルズやオーティス・クレイに提供した楽曲におけるソングライターとしての卓抜なセンスは見過ごされるようなものではない。

 ハイが店仕舞いした80年代には活動が減るも、聖職に就いたアル・グリーン同様、ドンも原点のゴスペルに回帰。87年に出したドナルド・ブライアント・アンド・チョーズン・フューとしてのアルバムもその一環だったのだろう。以降、レコーディング・アーティストとしては30年近くのブランクが空くが、2016年にボーキーズやポール・ブラウンのアルバムに客演し、翌年にはソロ作『Don't Give Up On Love』で完全復帰。前年の来日公演も含めて、70代半ばとは思えぬ力強い歌声は、表舞台から姿を消してもゴスペルを歌い続けてきたことを伝えていた。同作をバックアップしたスコット・ボマー率いるボーキーズで元ハイ・リズムのハワード・グライムスやチャールズ・ホッジズが活動を続けていることにも勇気づけられたに違いない。

DON BRYANT 『You Make Me Feel』 Fat Possum/Solid(2020)

 それから3年、前作と同じファット・ポッサムから新作『You Make Me Feel』が届いた。今回もボーキーズの面々を従え、アンソニー・ハミルトンのコーラス隊として知られるハミルトーンズも招聘。メンフィス・ソウル黎明期~黄金期を再訪するような内容で、ハイ時代の傑作として名高い“Don't Turn Back On Me”や“I'll Go Crazy”、アン・ピーブルズに書いた“99 Pounds”、オーティス・クレイに提供した“I Die A Little Each Day”のセルフ・カヴァーは、志半ばで表舞台から去ったシンガーとしてのリヴェンジにも思えてくる。ブルージーなバラード“A Woman's Touch”に続いてゴスペル・スタンダードのリメイクで締め括るラストにも感涙。いまは亡きメンフィスの仲間たちの魂を受け継いでふたたび歌いはじめたドンは、第2の黄金期を迎えている。

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