Page 2 / 4 1ページ目から読む

ESSENTIALS
名曲揃いなロッドの仕事歴
Pt.1

HEATWAVE Too Hot To Handle GTO(1976)

ジョニー・ワイルダーJr.率いる多国籍ファンク・バンドのデビュー作。全曲ロッドの作で、同名映画のモチーフにもなったディスコ名曲“Boogie Nights”、後にルーサー・ヴァンドロスらが歌うバラード“Always And Forever”の2大名曲で早くも天才作曲家ぶりを見せつけた一枚だ。ジョニーのファルセットが冴え渡るミディアム“All You Do Is Dial”の甘美な旋律もロッドならでは。 *林

 

HEATWAVE Central Heating GTO/Epic(1978)

デビュー作と同じくバリー・ブルーがプロデュースしたセカンドで、9曲中7曲がロッドの作。“The Groove Line”に代表される歯切れのいいディスコ・ファンクが飛び出し、ロッドの弾けるような鍵盤プレイも含めてバンドとしての勢いを感じさせる。サンプリング・ソースとしても人気を集めるスペイシー・メロウな“The Star Of A Story”はロッドの奇才ぶりが窺える逸品だ。 *林

 

HEATWAVE Hot Property Epic(1979)

名匠フィル・ラモーンを起用して制作された3作目。ロッドはグループからは脱退するも10曲中9曲でペンをとり、楽曲はデイヴ・グルーシンのオーケストラによって洗練され、スケールが大きくなったせいか、ロッド節の輪郭が際立ってきた。“One Night Tan”での“Off The Wall”マナーのアレンジはほとんど手クセ。完成間近でジョニー・ワイルダーが自動車事故に見舞われた。 *林

 

MICHAEL JACKSON Off The Wall Epic(1979)

マイケルとロッド双方にとっての最高傑作と断言してもいいダンサー“Rock With You”を含むクインシー軍団との第1弾アルバム。他にロッドが書いたのはヒートウェイヴ“Boogie Nights”的な作法で仕上げた表題曲と“Burn This Disco Out”で、泥臭くもあるマイケルの自作曲と並べば、都会的で洗練されたセンスがより際立つ。それらロッド曲を歌うマイケルの力の抜き加減も絶妙だ。 *林

 

RUFUS & CHAKA KHAN Masterjam MCA(1979)

マイケルの『Off The Wall』にメンバーのジョン・ロビンソンボビー・ワトソンデヴィッド“ホーク”ウォリンスキーが参加した縁で、旧知のクインシーが制作したアルバム。ロッドが書いたのはチャカ・カーンが熱い歌声で駆け上がるムーディな展開のミディアム“Live In Me”とヒートウェイヴ流儀のファンクとなる表題曲で、西海岸の音で磨き上げられた彼のセンスが光る。 *林

 

THE BROTHERS JOHNSON Light Up The Night A&M(1980)

ジョージ&ルイスのジョンソン兄弟がQ軍団として最高に輝いていた時代の一枚。9曲中7曲でロッドがペンをとった本作は、冒頭の“Stomp!”など、乱暴に喩えるならヒートウェイヴのデュオ版とでも言うべきアーバン・ファンク作品だ。“Treasure”や“All About The Heaven”といったリラックスしたスロウの繊細さもロッドならでは。ロッド曲ではないがマイケル・ジャクソンも客演している。 *林

 

GEORGE BENSON Give Me The Night Warner Bros.(1980)

高名なジャズ~フュージョン・ギタリストがクインシーの全面プロデュースを受けてR&Bシンガーとしての地位を確立した名盤。ジャズ古典などをコンテンポラリーに解釈した曲もあるが、滑らかなオクターヴ奏法が炸裂するタイトル曲や“Love X Love”など、ロッド作の弾むようなアップを軽やかに歌うベンソンが素晴らしく良い。“Star Of A Story(x)”はヒートウェイヴ曲のカヴァー。 *林

 

KAREN CARPENTER Karen Carpenter A&M(1996)

フィル・ラモーンの制作で80年に出すはずがお蔵入りし、一部の曲がカレン没後に加工して世に出された幻のソロ・アルバム(96年に日本主導で蔵出し)。『Off The Wall』を録り終えたミュージシャンが大挙参加しており、ロッドはモロにマイケル風味なメロウ・ディスコ“Lovelines”とスケールの大きい“If We Try”を書き下ろしてアレンジも担当。特に前者は抜群の相性を示す隠れ名曲だ。 *出嶌

 

QUINCY JONES The Dude A&M(1981)

クインシー作品で最高にポップなヒット作にもロッドは当然のように楽曲を提供していた。パティ・オースティンが軽やかに歌う歯切れのいいポップ・ファンク“Razzamatazz”や“Turn On The Action”、フュージョン風ミディアム“Somethin' Special”、そしてPファンクをQマナーで解釈したような表題曲という4曲がそれ。白人であるロッドの提供曲こそが黒いというのがおもしろい。 *林

 

PATTI AUSTIN Every Home Should Have One Qwest(1981)

クインシー絡みの作品で常連となっていたCTIの歌姫が、御大の膝元に移ってコンテンポラリー路線を推進した重要な転機作(なのに廃盤とはね!)。クインシーが全面制作にあたったうちロッドは4曲を書き下ろし、翌年リカットされたジェイムズ・イングラムとのデュエット“Baby, Come To Me”は83年に全米1位を獲得。都会的なラヴ・バラードの定番にしてロッド指折りの名曲の1つだ。 *出嶌