膨大な仕事歴をザックリ追っていくと、USにおけるリオンの需要が86年頃を境に急激に途絶えていることがわかる。そんな周囲の状況の変化は『Leon Ware』(82年)以来となる彼のアルバム『Undercover』(87年)がメジャー契約を得られぬまま登場したことからも明らかだ。が、それと入れ替わるようにリオンへのラヴコールを贈りはじめたのはUS以上にソウル愛の強い英国のアーティストたちだった。直接プロデュースを依頼したルース・エンズやミーシャ・パリスをはじめ、後にUKソウルと括られる若い世代は、70年代ソウルの見直しが進む90年代が来る前から、マーヴィンやミニーの背後に誰がいたのか承知していたのだろう。 

ルース・エンズの88年作『The Real Chuckeeboo』収録曲リオンのプロデュースによる“Easier Said Than Done”

 オマーは全米メジャー進出にあたってリオンとのコラボを望み(94年作『For Pleasure』収録の“Can’t Get Nowhere”はリオンが共同制作)、そうした評価を受けてリオン本人の『Taste The Love』(95年)も英エクスパンション経由でリリース。それに前後してルルには“Independence”(93年)を書き、リサ・スタンスフィールドやカメール・ハインズ、ヒンダ・ヒックスらの楽曲もコンスタントに手掛けていくことになった。なお、この頃に定着したUKでのリオン観が、〈フリー・ソウル〉などを通じて90年代の日本にも広まったことは言うまでもない。

ルルの93年作『Independence』収録曲“Independence”

 一方、本国USではトライブ・コールド・クエスト“Check The Rhime”(91年)やジャネイ“Hey Mr. DJ”(93年)などのネタ使いによってリオンの書いた曲が再認識される状況はあったものの、リオン個人や本人の作品にまで評価が膨らむには至らなかったのではないか。90年代半ば、いわゆるニュー・クラシック・ソウル運動においても、求められたのは70年代ソウルの精神性や意識の高さだった。

ア・トライブ・コールド・クエストの91年作『The Low And Theory』収録曲“Check The Rhime”

ジャネイの94年作『Pronounced Jah-Nay』収録曲“Hey Mr. DJ”

 そのなかでも例外は〈新・愛の伝道師〉ことマクスウェルで、“Sumthin’ Sumthin’”(96年)をリオン本人と共作、アルバム全体のムード作りという面でも影響を露にしていた。また、マーヴィン好きのエル・デバージが“Heart, Mind & Soul”(94年)にリオンを招いてメロウネスを取り込んでいたことも忘れ難い。そんなわけで、90年代におけるリオンの評価具合は、UKのマッシヴ・アタックと組んだマドンナ(デトロイト出身)の“I Want You”(95年)の在りようが象徴的なようにも思える。

マックスウェルの96年作『Maxwell’s Urban Hang Suite』収録曲“Sumthin’ Sumthin’”

エル・デバージの94年作『Heart, Mind & Soul』収録曲“Heart, Mind & Soul”

マドンナの95年作『Something To Remember』収録曲“I Want You”

 

▼関連作品

左上から、ルルのベスト盤『Greatest Hits』(Universal)、ア・トライブ・コールド・クエストの91年作『The Low End Theory』(Jive)、ジャネイの94年作『Pronounced Jah-Nay』(Illtown)、マックスウェルの96年作『Maxwell’s Urban Hang Suite』(Columbia)、エル・デバージのベスト盤『Ultimate Collection』(Hip-O)、マドンナの95年作『Something To Remember』(Warner Bros.)
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